<注目>号外:脱炭素「聖域」農業に切り込む

温暖化ガス排出量の2割は農業から排出されています。人口が増え続ける世界で食料安全保障が注目されていますが、食料生産を維持・拡大しながらも環境対応を進めることが求められています。私たちの日々の生活に直結している課題です。

2023年11月20日付け日本経済新聞電子版に掲載された記事より、

欧米やインドが食料生産システムの転換に動き始めた。食料安全保障に関わる農業は脱炭素の「聖域」とされてきたが、温暖化ガス排出量の2割を占めるだけに、炭素貯留などの環境対応が急がれている。チーズや牛乳など酪農大国として知られるオランダが家畜の数を3分の2に減らす。自主廃業する農家への補償や政府による農場の買い上げ計画が進んでいる。2030年までに窒素酸化物(NOx)やアンモニアの排出量を半減させるためだ。欧州では植物由来の代替肉の消費も拡大している。9月にはドイツの企業が欧州食品安全機関(EFSA)に培養肉の承認を初めて申請した。温暖化ガスの排出を抑えるため、世界的に代替肉や培養肉へのシフトが進み、2040年には世界消費量に占める「従来の肉」の割合が40%に低下するとの試算もある。

“11月末から開催される第28回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP28)では気候変動と食料生産システムが主要議題のひとつとなる。議長国のアラブ首長国連邦(UAE)は各国への書簡で「気候変動という緊急課題に対応するため、農業と食料システムの適応と転換を迅速に進めなければならない」とした。国連食糧農業機関(FAO)シニア自然資源オフィサーのマーシャル・ベルノー氏は「農業分野の排出削減は複雑な課題だが、数十億人の人々に影響を与える食料生産システムだけに(気候変動への)適応と緩和をはかる以外にない。土壌中の炭素を増やせば、有機農業への転換が進むのは確かで、それに反対する人はいないだろう」と語る。そのうえで「食料生産システムを転換すれば、農家はコストとリスクに直面する。最も有効な政策は国際的な金融支援と投資を整えることだ」と指摘する。”

2021年の世界の部門別排出量シェア

“米調査会社ロジウム・グループは農業・土地利用からの温暖化ガス排出量の割合は世界全体の20%を占めると推計する。工業や発電に次いで大きく、交通・運輸を上回る。日米欧や中国などの主要国は2050~60年に温暖化ガス排出を実質ゼロにする目標を掲げるが、農業には手を付けず、工業や交通・運輸だけで排出削減を達成するのは厳しい。そもそも温暖化ガスの排出は抑えられていない。ロジウム・グループの暫定推計によると、2022年の世界の排出量(CO2換算)は約506億トンで前年比1.1%増えた。新型コロナウイルスの感染拡大2020年の排出量は4.8%の大幅減となったが、リバウンドどころか、すでに2019年水準を上回っている。”

“ESG(環境・社会・企業統治)コンサルティングを手がけるニューラル(東京・品川)の夫馬賢治・最高経営責任者(CEO)は「欧米の意識は明らかに農業に向いている。気候変動で農作物の収量や品質に影響が出始めており、そもそも現状維持さえ難しい。農作物を作りながら(温暖化ガスを)吸収する食料生産システムが世界的に注目を集めている」と語る。”

環境政策で先行する欧州連合(EU)はカーボンファーミング(炭素貯留農業)にカジを切る。カーボンファーミングの柱は不耕起栽培だ。近代農業は機械を使って雑草や微生物ごと土を掘り返し、大量の肥料を投入して農作物を増産してきたが、これによって土壌中にある炭素が大気中に放出されてしまった。不耕起栽培への転換で、より多くの炭素を有機物として土壌中に蓄えられる。全世界で土壌に貯留される炭素量を毎年0.4%増やせば、大気中への温暖化ガスの排出と相殺できるとの試算もある。化学肥料の大量投入も温暖化を招く。農作物が吸収する肥料はほんの一部で、多くは気化し、温暖化への影響がCO2のおよそ300倍とされる亜酸化窒素(N2O)となり、大気中へ放出されるからだ。不耕起栽培や肥料の抑制に加え、土壌改良剤であるバイオ炭の利用も土壌中への炭素貯留につながる。”

“EUの欧州議会は今秋開催される本会議で、炭素除去認証システムに関する法案を採決にかける。CO2などの除去や貯留をどう測定し、その状況をいかに監視し、検証するかを定める枠組みだ。最終承認されれば、CO2の直接空気回収(DAC)やカーボンファーミングへの取り組みが加速すると予想される。土壌中の炭素量は正確に測定するのが難しく、気温や天候、自然災害によっても変動する。EUのカーボンファーミングには実態を反映しないグリーンウォッシング(見せかけの環境対応)との批判もある。それでも欧州委員会は「実質排出ゼロに向けた必要不可欠な踏み石」と位置付け、排出量取引制度(ETS)に農地での炭素貯留を組み込むことを検討する。

米農務省(USDA)は今年7月、農業や林業における温暖化ガス排出量と農地での炭素貯留を正確に測定するために3億ドル(約450億円)を拠出すると発表した。報告書では「農家や牧場主は排出削減や土壌への炭素隔離を通じてカーボンクレジットを獲得でき、それを市場で売却することで新たな収益機会を得られる」と強調する。米国では農地貯留のカーボンクレジットを取引する自主市場が生まれており、USDAは土壌中の炭素を定量化することで、農家らに農地貯留のインセンティブ(動機付け)を与える。FAOのベルノー氏は「土壌中の炭素量を認証するメカニズムは公正な競争を確保するために必要だ。農地貯留とカーボンクレジットの取引は大きな流れであり、誰にも止められない」と話す。”

欧米に続き、世界最大級の農地面積を持つインドもカーボンファーミングに動く。三井物産戦略研究所の野崎由紀子主席研究員は「広大な農地があり、過剰な施肥などの改善余地が大きいインドはカーボンファーミングによるクレジット取引の主戦場になりそうだ」と話す。インド政府は補助金で化学肥料の価格を抑えてきたが、国際的な肥料の高騰をふまえ、カーボンファーミングへの転換による肥料補助金の削減に動いている。稲作からのメタン排出を抑える水管理の導入が遅れているうえ、CO2やN2Oを発生させる野焼きも絶えない。これらの排出抑制がカーボンクレジットとして農家の新たな収入源になる。インド政府はクレジットを取引する炭素市場の創設に動いており、カーボンファーミングへの転換はさらに加速する見込みだ。”

農作物や家畜からの温暖化ガス排出量が多いのは途上国だ。FAOによると、CO2換算で6億7900万トンを排出するインド、5億トンを超える中国やブラジルなどが上位を占める。これらの国では技術的にも排出削減の余地が大きく、農業が脱炭素のカギを握る。国際ブドウ・ワイン機構(OIV)は11月初め、2023年のワインの世界生産量が1961年以来の最低水準に落ち込んだと発表した。「大雨や干ばつなど極端な気候条件が生産量に大きな影響を与えた」ためだ。農業からの温暖化ガスの排出を抑えなければ、気候変動はさらに激しくなり、それが農業生産に悪影響を及ぼす。生産効率を追求してきた近代農業は岐路に立たされているようにみえる。”

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