おかえり、デニム
私のクローゼットにはデニムが2本入っています。休日にちょっと出かけるとき、暑い時期でなければ、デニムをよく利用します。中学生の頃からですから、もうずいぶん長い付き合いです。デニムは、カジュアルな定番として私たちの生活にすっかり定着していますね。そんなデニムについての話題です。
2022年5月20日付けNIKKEI The STYLE電子版に掲載された記事より、
”デニムが再び注目されている。新型コロナウイルス禍が改めて身の回りのものを見直す契機となり、ファッションもベーシックに回帰する傾向が強まっている。足元で世界のジーンズ市場は7兆円超とみられ、今後数年は年平均5%近い拡大が予想されている。細身のスキニーなど、かつては流行のシルエットが明確だったが、様々なジーンズが登場し、取材で出会った人たちも思い思いに楽しんでいた。”
”素材も綿だけでなく多岐にわたり、機能面も進化している。世界トップクラスの生産量を誇るトルコのデニム生地メーカー、イスコが2021年に本格展開し始めたのは、血流を良くする研究結果が得られたデニムだ。生活に密着した素材であり、単なる洋服を超えて、健康という視点でできることがあるのではないか、と開発に至ったという。一般的に、染色した経(たて)糸と白い緯(よこ)糸を綾(あや)織りしたのがデニム生地だ。経糸と緯糸を交互に交差させる平織りではなく、綾織りは経糸が3本の緯糸をまたいでから交差させる織り方で、仕上がりは左右非対称になり、ジーンズをよく観察すると斜めに模様が入っているように見える。裏返すとブルーではなく白地なのは緯糸が見えているためで、平織りに比べ伸縮性がある。”
”デニム生地は南仏で織られた「セルジュ・ドゥ・ニーム」が起源といわれている。生地を使ったジーンズは、1850年ごろ、米国で起こったゴールドラッシュで金採掘の労働者の間で広まった。耐久性や動きやすさから作業着として採用され、今や誰もが知るブランド「リーバイス」も、このころにルーツがある。当初は生成りや茶色などもあったが、汚れが目立たないことや、染料に防虫効果があったことなどからブルーになったといわれている。”
”1930年代になると、「ウェスタンファッションとして、ひとつのカルチャーの中に取り入れられていった」。ヴィンテージデニムアドバイザーで「教養としてのデニム」の著者の藤原裕さんは話す。ジーンズを労働着として着用していたカウボーイが活躍する西部劇の映画が大ヒットし、ワークウェアからファッションに変化していく。
”1946年のリーバイスが1100万円。2022年1月、藤原さんがディレクターを務める東京・原宿のヴィンテージショップ「ベルベルジン」の初売りで売れたGジャンの価格には驚かされる。第2次世界大戦中、物資統制が進むとデニムも影響を受け、ポケットの端に補強のために付く金属製のリベットなどが簡素化された。当時生産されたものは「大戦モデル」と呼ばれ、現在特に人気を集めている。それ以前とは異なる仕様を余儀なくされたものの、藤原さんによると「生地は戦前よりも厚手」だという。限られた環境下で丈夫なものを作ろうとした矜持(きょうじ)さえ感じられる。初売りで売れたのは大戦モデルの名残のあるアイテムだ。ヴィンテージはその時代の物語を語り出す。“
”戦後、ファッションとしてデニムの存在感は一段と増した。俳優のマーロン・ブランドやジェームス・ディーンらがジーンズをはいたスタイルで映画に登場し、憧れの対象となった。反抗的なイメージをまとったジーンズは、1960年代にはベトナム戦争の反戦運動などから生まれたヒッピーと呼ばれる若者が、裾の広がったベルボトムを愛用。大人や社会にあらがうスタンスの象徴にもなる。70年代になると国内でも刑事ドラマ「太陽にほえろ!」にジーパン刑事が登場するなど、広く浸透した。”
“その後、デザイナーや高級ブランドも、取り入れ始める。「ブルージーンズを発明したかった」。イヴ・サンローランは1983年、米誌にこう語っている。「ジーンズには表情があり、控えめで、色気もあり、シンプル。私が服に求めているもの全てを兼ね備えている」。時代にもまれながらも私たちのそばにあり続けているデニム。いまや年齢や性別、人種を問わず、誰しもを包み込んでいる。”