号外:農業とIT、失った畑を取り戻す

このところ健康や食の安全への関心が高まり、新鮮で安心・安全な農畜水産物を、生産地の近くで消費する地産地消が話題になることも多くなりました。しかしスーパー等に並ぶ食材は、まだまだ海外で大量生産された輸入品や、国産でも大規模に生産する産地から運ばれてくるものが中心です。小規模でも、手間をかけて大切に育てられた食材の価値を、テクノロジーを活用して、生産者と消費者をつなぐことで伝えるビジネスが注目されています。

2022年5月18日付け日本経済新聞電子版に掲載された記事より、

”生産者と消費者をつなぎ、農畜水産物などを産地直送するサイト「食べチョク」。生産者が自分のこだわりをアピールし、消費者は応援の気持ちを込めて、直接購入する。運営会社を創業した秋元里奈さん(31)は、「小規模な農家でも続けられる世界をつくりたい」という。その原点は、秋元さんの実家に畑にあった。”

生産者と消費者を直接つなぐ仕組み

”消費者がレシピを聞いたり、応援の言葉を贈ったり、生産者とメッセージをやりとりする仕組みもある。商品の中身や発送をめぐって生産者と購入者にトラブルが起きないよう、食べチョクのスタッフが当事者間に入る。そうした細かな配慮が支持を集め、新型コロナウイルス禍の中、自宅で料理する機会が増えたこともあって、利用者が伸びている。運営会社のビビットガーデン(東京・港)は2016年、秋元さんが創業した。いろいろな野菜が育ち、色鮮やかな(ビビットな)農地を守りたい、という思いを社名に込めた。”

”秋元さんが目指すのは、小規模でも生産者のこだわりがしっかりと評価される世界。起業のはじまりには、実家が営んでいた畑の記憶がある。秋元さんの実家は相模原市で農家をしていた。ジャガイモやニンジン、ネギ、トウモロコシ、白菜…。野菜は何でも作っていた。小学校のクラスで家が農家なのは秋元さんだけだったという。近所のボーイスカウトの子どもたちが毎年、芋堀りに畑にやってきた。青空の下、みんなで収穫し、焼き芋にして食べた。「秋元の家、農家ですごいね」。家の畑は誇りだった。”

”親族は丁寧に畑仕事をしていたが、母からは「農業を継ぐな」と言われていた。農業の経営が厳しかったからだ。両親は金融機関で働いていた。自分も大企業で働くだろうと思っていた。実家の農家は中学生のときに廃業した。大学を卒業し、DeNAに入社した。ある日、友人と実家の畑でイベントを企画した。実家に帰り、久しぶりに裏の畑をのぞいた。畑は荒れ果てていた。2016年の冬の終わり、冷たく乾いた風が吹くなかで立ちすくんだ。記憶の中にあったカラフルな景色はモノクロになっていた。畑が近くにあったのに、ずっと目を向けていなかったと気付いた。それまで「やりたいことが見つからない」とコンプレックスがあったが、このときはっきりと自覚した。「農業の仕事をしたい」。”

秋元さんと野菜畑

”産直サイトの起業を目標にし、かつての同僚らに声を掛けた。だが「社会的意義はあるがビジネスとしては厳しい」と言われた。創業から10ヶ月、社員はひとりも採用できなかった。資金調達では70人の投資家に出資を断られた。秋元さんはそのたびに、なぜ断ったのか理由を聞いた。理由の3割は事業の課題だったが、7割は自分の説明不足によるものだった。産直サービスはいくつかの会社が参入しては撤退し、生産者からよい印象を持たれていなかった。断られても何度もお願いをし、一緒に畑も耕した。「生産者のこだわりが正当に評価される世界をつくる」。会社のミッションをそう定めた。

秋元さんの描く世界は徐々に賛同者を得ていく。KAMA FARM(釜ファーム)代表の釜博信さん(39)は、熊本県芦北町でタマネギやソラマメなど露地野菜を生産する。2020年と2021年、タマネギは豊作だった。加えて新型コロナウイルスの感染拡大で外食や給食の需要が減った。タマネギの価格が下がり、手取りは例年の半分以下になった。釜さんが決めたのは、電子商取引(EC)サイトを通じて野菜を直接消費者に売ることだった。販路として選んだのが食べチョクだった。辛みの少ないタマネギや白いトウモロコシなどを打った。生産物が売れると、販売価格の約2割を食べチョクに支払う。それでも以前より利益は出る。買った人から「甘くてみずみずしい」などの言葉も届いた。”

生産者と消費者が交流できる仕組みを作ったのは、応援するファンをつくり、小規模でも生産者の経営が回るようにするためだ。「生産者と消費者をつなぐ。それは隔たりをなくすこと」。秋元さんは言う。両者の感覚の違いを取り除く工夫が大切という。2021年夏の西日本を中心にした大雨被害の際は、寄付機能を設けた。畑に土砂が流れ込んで収穫できなくなったレンコン農家らを、一口500円で消費者が支援した。4月に新卒入社した田中康湧さん(25)は、テレビ番組に出演する秋元さんを見て食べチョクに興味を持った。祖父が農家で「農業は大変」という印象があった。だが、食べチョクを通じて出会う農家は自分が作る生産物の魅力をうれしそうに話す。「もっと多くの人を笑顔にできる」と語る。”

秋元さんのパーパス

食べチョクの流通総額は2年で128倍になり、従業員も約100人になった。秋元さんは自分の貢献割合が相対的に小さくなったように感じて、もどかしさも覚えた。そして幸せについて思いを巡らせた。将来にとらわれすぎず、「目標に至る過程を喜べるようにしたい」と考えるようになった。だから、生産者のもとを訪ねていろいろな声を聞く、社員が同じ目標に向かって人生の時間を費やしてくれることに感謝する。そうしたことが日々の意欲になる。「どんな立場になったとしても、1次産業に貢献したい」。家族の畑の色鮮やかな記憶が、秋元さんを動かし続ける。”

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