号外:有名炭酸、兵庫に源流

私は兵庫県西宮市に住んでいて、サイクリングで武庫川沿いに宝塚市まで行くこともあるのですが、この記事で紹介されている内容についてはまったく知りませんでした。国内で有名な炭酸飲料の源流が兵庫県にあるという話題です。

2024年8月15日付け日本経済新聞電子版に掲載された記事より、

阪急宝塚駅近くのウィルキンソンの自販機、工場跡地(川西市)に立つ三ツ矢塔

ウィルキンソンの炭酸水や三ツ矢サイダーは、兵庫県北摂地域の天然鉱泉から誕生した。ウィルキンソンは今年誕生120年、三ツ矢は同140年。発祥地では行政が両ブランドを継承するアサヒ飲料(東京)と連携して、街の活性化につなげようとする動きも出ている。阪急宝塚駅の南、武庫川を渡った宝来橋のたもとに「天然たんさん水 この下にあり」と刻まれた石碑が立っていた。その向かいの自動販売機にはウィルキンソンばかりが並んでいる。”

天然炭酸鉱泉の石碑(宝塚市)

“1897年から近くで炭酸せんべいを売る黄金家の的場喜志さんによると、かつて川の脇から炭酸水が湧き出していたという。「夏でもシュワシュワと冷たく、子どもの頃は砂糖を入れてよく飲んだ」と懐かしむ。アサヒ飲料によると、この地で英国人のジョン・クリフォード・ウィルキンソンが炭酸鉱泉を発見したのは1889年。ロンドンの分析機関で良質との結果を得て工場を建て、1890年ごろにビン詰め炭酸水の販売を始めた。源泉の枯渇により、1904年に兵庫県塩瀬村生瀬(現・西宮市)に工場を移転。「ウヰルキンソン タンサン」は主に米国、カナダなどに輸出され、高級ホテルで普及した。”

創業者のJ.C.ウィルキンソン

戦時中、大日本麦酒(当時)が握った経営権は戦後にウヰルキンソン社へ戻り、1979年に日本で初めて開催された先進国首脳会議「東京サミット」では飲料水として採用された。1983年に朝日麦酒(現アサヒグループホールディングス)へ事業が譲渡されると、炭酸水をそのまま飲むブームにも乗り、知名度は向上した。宝塚市内のホテルではウィルキンソンを使った紫色の「宝塚ハイボール」が提供されている。ブランド120周年を記念して、創業者ウィルキンソンの誕生日である7月15日にアサヒ飲料と市はセレモニーを実施。宝塚市国際観光協会も交えた3者で「ウィルキンソン タンサンを通じたにぎわい創出のための連携協力」協定を結んだ。10月にはキッチンカーも出る「湯のまち宝塚タンサンフェス」を開催する予定。市観光にぎわい課の中村美優さんは「宝塚が温泉と炭酸の街であることをPRし、観光の盛り上げにつなげたい」と話す。”

“宝塚市街から北東約12キロの能勢電鉄平野駅(川西市)。近くの川沿いに三ツ矢サイダーのロゴが入った塔がある。江戸時代に温泉街として栄えた一帯から湧出する鉱泉を英国人技師のウィリアム・ガウランドが称賛。3年後の1884年、政府の許可を得た数人が「平野水」として商品化したのが始まりだ。平安時代から地元に伝わる故事にちなんだ「三ツ矢印平野水」は皇室の御料品にも採用され、経営主体を変えながら、1906年のミラノ万国博覧会など各国の万博にも出品された。甘味を加えた三ツ矢シャンペンサイダーを夏目漱石や宮沢賢治も愛飲し、最盛期に平野工場の生産施設は50~60棟、従業員は600人に達したという。”

「三ツ矢印平野水」の新聞広告(1905年)、三ツ矢シャンペンサイダー(1933年)

戦後に朝日麦酒が三ツ矢サイダーの商標を継承。平野工場は1954年に飲料製造を終え1971年に閉鎖されたが、アサヒ飲料の明石工場(兵庫県明石市)には三ツ矢サイダーミュージアムが併設され、歴史を伝えている。140周年の「三ツ矢の日」である3月28日、同社は旧平野工場の復元模型を川西市へ寄贈。8月に市制70年を迎えた同市は三ツ矢とコラボしたマンホールを川西能勢口駅前に設置している。同市市制70周年記念事業事務所の山口順子事務局長は「郷土が誇るブランドとのダブルの周年が、市民に地元への愛着を持ってもらう契機になれば」と期待する。”

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