号外:フェニキア最古のワイン醸造所

皆さんはワインがお好きでしょうか。私は元々ワインをあまり好まなかったのですが、ドイツやカリフォルニアに住んでいる間に、だいぶワインも嗜むようになりました。不思議なもので、ドイツやカリフォルニアに住んでいる時は、ワインをとてもおいしく感じたのですが、日本へ帰ってきてからは、そうでもありません。理由は下記の3点だと思っています。

1、現地で飲んでいたほど良質で保存状態の良いワインを日本では簡単に、安価に手に入れることができない。

2、欧州やアメリカ西海岸の乾燥した気候の方が、ワインを楽しむのに適している。

3、日本では、一緒に食べる料理や食材が異なるため、ビールや日本酒の方がおいしく感じられる。(これには個人差があると思いますが)

さて、今回は古代ワインについての話題です。

2020年11月18日付けNational Geographic日本版(電子版)に掲載された記事より、

中東のレバノンで、同国最古のワイン圧搾機(圧搾所)が発掘された。古代フェニキア人が広範囲にわたってワインの交易を広く行っていた新たな証拠として、注目に値する発見だ。ワインの発祥地はフェニキアではない。ジョージアでは、約8000年前のワイン醸造の証拠が発見されている。しかし、オリーブオイルやアルファベット、グラスなどとともに、ワインの醸造技術を古代の地中海沿岸地域に広めたのはフェニキア人だ。ワイン文化は全世界に広がり、現在もフェニキア人の影響は生き続けていると言える。”

テル・エル・ブラクのワイン醸造所(想像図)

“2020年9月15日付で学術誌「Antiquity」に発表された論文によると、ワイン圧搾機が発掘された場所は、レバノンの沿岸都市シドンから南に約8キロ離れたテル・エル・ブラク遺跡だ。少なくとも紀元前7世紀には使われていたと推測される。当時、レバノンはフェニキア人の領土だったため、フェニキア最古のワイン圧搾機ということになる。”

“発掘現場からは大量の種子が見つかっており、近くのブドウ園から運び込まれたブドウを人の足で踏みつぶしていたことを示唆している。ワイン圧搾機の保存状態は極めて良く、耐久性のある漆喰が塗られており、約4500リットルの液体を入れることができた。つぶしたブドウの果汁や、それに果皮や果肉を混合した「マスト」は大きな桶に集められ、アンフォラという特徴的な形の陶器に移された後、そのまま発酵、熟成させて、運搬された。”

“ワイン圧搾機は泥レンガでできた住居4棟とともに発掘された。テル・エル・ブラクは紀元前8~6世紀に存在したフェニキア人のコミュニティーの一部で、輸出用ワインの醸造が行われていた。フェニキア人にとって、ワインは重要な交易品で、シドン地方のワインは特に有名で、古代エジプトの文献でも言及されているという。しかし、フェニキアがワインを醸造していた証拠は、これまでレバノン国内ではほとんど見つかっていなかった。計画的な発掘調査が行われてこなかったせいかもしれない。ただし、現在のイスラエル北岸では、似たようなワイン醸造所がいくつか発見されている。当時、一帯はフェニキアの都市国家ティルスとシドンに属していた。”

テル・エル・ブラクのワイン圧搾機

フェニキアの船乗りたちは北アフリカやシチリア島、フランス、スペインの植民都市にブドウ園とワイン醸造所を広めた。さらに、古代ギリシャ、ローマとの交易を通じてワインを普及させた。フェニキア人のワイン好きは宗教にも影響を及ぼし、近東の他の宗教(ユダヤ教とキリスト教)においても儀式の際にワインが使われるようになった”

ワインの歴史は約8000年(ジョージアの遺跡)もさかのぼれるのですね。さて、日本酒の起源については諸説ありますが、一般的には、日本に稲作が伝わった弥生時代と同時代で、今から約2000年位前ではないかと言われています。当時の日本酒は、神社の巫女さんが神様のために造っていた、とても神聖なものだったようです。それぞれの地域、文化にそれぞれの料理とお酒があり、今でも色々な料理とお酒を楽しめることは、とても幸せなことだと思います。

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