古着ブームの裏側に高まる若者の環境意識? ①

Yahoo JapanのGyoppy!というサイトに掲載されたコラムの要約なのですが、共感できる点が色々ありました。興味のある方は、以下のアドレスで全文をご覧ください。

https://gyoppy.yahoo.co.jp/originals/87.html

“10代、20代の若者の間でいま、何度目かの「古着ブーム」が来ているという。「いいものが安く買える」「個性的で他の人と被らない」といった、いかにも若者らしい理由で古着を選ぶ人が増えているようだ。他方、高まる環境意識や倫理観が彼らの購買行動を変えているとの指摘もある。若い世代からは、「新品の中に買いたいものがない」という声も聞かれる。”

”ある種の消去法のようにして古着に走っているのだが、高まる環境意識や倫理観と古着という選択にはどのような関係があるのか。若者の意識がそこまで高まっているとすれば、それはなぜなのだろうか。環境とか倫理とかを理由に古着を着ている若者がいるという。全体からの割合はわからないが、「どの新品を買っていいのかわからなくなってしまった」と言って古着を選んでいる若者がいる。映画「トゥルーコスト」を見たり、グレタ・トゥーンベリさんがスピーチしているのを聞いたりして「不都合な真実」を色々と知ってしまった結果、何を買っていいかわからなくなってしまったのだ。知ったうえでそのまま消費していると、自分も非倫理的な振る舞いに加担しているように感じてしまうようだ。古着には着ていて罪悪感がない。何をやるにしても大体はどこかに負荷がかかるものだが、古着に関しては流通の輸送コストくらいのものだ。”

”昔と比べれば環境や倫理への配慮を謳うブランドも増えているのに、「選べない」というのはどういうことなのだろうか。ひとくちにエシカル、サステイナブルといっているが、解きほぐしていくと3つの論点が絡み合っている。ひとつは「トゥルーコスト」で描かれているような、グローバリゼーションによる賃金格差の問題。搾取の構造が生まれている。最も有名なのは、2013年にバングラディシュの雑居ビルに入っていた縫製工場が崩落して、多くの人が亡くなった事故。「自分はこんなところで作っている服を着ていたのか」と多くの人が気付かされた。ふたつめは、農薬で土壌汚染が進んでいくとか、綿花の栽培に水を大量に使っているといった、使用している原料の問題。環境へのインパクトが大きすぎるものを使っていないかという懸念だ。そして3つめが、使い終わった後の問題。大量生産大量消費からくる廃棄の問題だ。エシカル、サステイナブルという文脈でアパレルが語られるときには、これらの論点がごちゃごちゃになっていることが多い。”

”ファッションブランドがこの3つの問題に真摯に向き合おうとすると、適正賃金で、環境に優しい素材を使って、小ロットの受注で回していくということになる。しかし、これでビジネスをきちんと回していくのは非常に難易度が高い。全部が全部はやりきれない。それでもやろうとすると、中途半端な感じになってしまう。理想を高く掲げていればいるほど、全部が中途半端になってしまっている。その逆に、「サステイナブルです」「環境に配慮しています」「フェアトレードです」というキーワードで構成されているものの、全然商品はよくないみたいなことになっているものもある。それはそれで「結局、誰がそれを着るんですか?」となってしまう。こんな経緯で、環境意識や倫理観が高い若者ほど「買いたいブランドがない」ということになっている。”

アメリカでもZ世代は環境意識とか倫理意識が高くて、それが消費行動を変えていると言われている。日本でも、いままでの「ファッション好き」とは違う文脈でファッションに興味を持ちだしている若い人が出てきている。これまでは「格好いい」とか、服のクリエイティブに興味を持っている人を「ファッション好き」と言っていた。そこに2015年くらいから増えてきたのが、社会問題からファッションに興味を持ち始める人たちだ。要はファッションの領域が拡張しているように思われる。もともとは洋服の着こなしが上手な人をおしゃれとかクールとか呼んでいた。いまは社会のことを考えていることがクール。それもファッション、「格好いい」のひとつの指標になっている。“

”服はそれ以前から自分を表現するものとしてあったが、その内容が変わってきている。そういう変化が起きたことにはインターネットの影響が大きい。昔は「自分はこういう人です」というのは、外見で見極めてもらうしかなかった。でも、いまは考えていることがあるならブログで書ける。ツイッターで言える。パーソナリティーを表現できる場所が拡張しているので、表現する側もそれを受け取る側も、その総体としてその人がどういう人なのかを判断するようになってきている。”

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