号外:サル痘急拡大、長期流行が招く「第2の天然痘」のリスク

サル痘が世界で急拡大しています。7月23日に世界保健機構(WHO)は「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」と宣言しました。日本でも7月25日に最初の感染者(欧州からの帰国日本人)が確認されました。私たちはすでに2年半以上も、新型コロナウイルス感染症に脅かされ、日々の生活も随分変化してきました。サル痘もウイルス性の感染症で、ウイルスは変異を繰り返し病原性が高まることもあります。できるだけ早く抑え込むことが必要です。

2022年7月24日付け日本経済新聞電子版に掲載された記事より、

”発熱や皮膚の発疹といった、天然痘に似た症状を引き起こす感染症「サル痘」が急拡大している。英オックスフォード大などが運営するデータベース「Our World in Data」によれば、7月20日の時点で64の国と地域で感染者が1万5000人を上回った。事態を重く見た世界保健機構(WHO)のテドロス事務局長は23日、「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」と宣言した。天然痘と違って病原性は必ずしも高くないが、このまま流行拡大を許すと、第2の天然痘になる恐れがある。

サル痘は1970年にアフリカ大陸の中央に位置するザイール(現在のコンゴ民主共和国)で人での感染例が初めて報告され、アフリカ大陸内で徐々に流行が拡大してきた。だが今回は、欧米などアフリカ以外の地域に流行が広がった。

”ポルトガルのドトール・リカルド・ジョージ医学研究所などの研究チームが6月下旬、サル痘のウイルスが気がかりな変化を起こしていることを報告した。15人の患者感染していたウイルスの一部の遺伝子に、欠損が起きていたのだ。コンゴ民主共和国の流行でも、人から人への感染を繰り返すうちに遺伝子の欠損が起きたことが報告されている。ウイルスや細菌が新たな環境に適応する際に遺伝子の一部を切り捨てる「還元的進化」が起きている可能性がある。

”ウイルスは、感染先の宿主が持つ防御システムに対抗する遺伝子(免疫抑制因子など)を持っている。幅広い動物種に感染するウイルスでは、対抗する遺伝子も数多く揃える必要がある。だが、進化の途中で特定の動物への感染効率を高め、その動物の間で広がるように変化するような戦略を取ることがある。こうなると他の宿主に対抗する遺伝子は不要になる。天然痘ウイルスはこのケースだ。かつてラクダ痘ウイルスやネズミなどに感染するウイルスと近縁だった天然痘ウイルスは、進化の途上で多様な動物に感染するための遺伝子を捨て去り、人だけに感染するウイルスに変わった。

”サル痘ウイルスは今のところ、ネズミを中心とした幅広い哺乳類に感染するウイルスだ。サル痘に詳しい岡山理科大学の森川茂教授は「いま流行中のサル痘ウイルスがかつての天然痘ウイルスと同じく人だけを宿主とするように変化していくなら警戒が必要だ」と話す。”

天然痘ウイルスは感染した人の20~50%が死に至るとされ、病原性の高いウイルスの代表例だが、進化の過程で人に特化していくにつれて病原性を増していった可能性がある。カナダを中心とした国際研究グループが2016年、17世紀の子どものミイラを解析し、皮膚に天然痘の発疹が見当たらないにもかかわらず、体内から天然痘ウイルスが見つかったことを報告した。これは、全身に激しい発疹が出ることを特徴とする近代以降の天然痘と比べ、当時の天然痘の症状が軽かったことを示唆する結果だ。”

”北海沿岸地域から見つかった6~7世紀のバイキングのミイラから分離された天然痘ウイルスを英ケンブリッジ大学などのチームが解析したところ、20世紀に流行した天然痘では失われていた幾つかの遺伝子が、当時の古いウイルスにはまだ存在していたことがわかった。逆に病原性を強める複数の遺伝子が、当時のウイルスでは欠損していた。ウイルスは変異を繰り返しながら増えやすいタイプだけが残るので、高い病原性をもたらす変異が増殖にも有利である場合には、当然その方向にウイルスの進化が進む。感染者の発疹に触れることで感染が成立するなら、病気が重症化して発疹の数が増えれば、感染が効率よく広がる。天然痘はこれに近い進化の経路をたどったとみられる。”

”6~7世紀のミイラのウイルスは、現代のウイルスの直接的な祖先ではない。どうも天然痘ウイルスは、ラクダ痘ウイルスなどから分化した後で幾つもの系統に分かれ、別々の系統が異なる時期に人に病気を引き起こしてきたようだ。2世紀後半のローマ帝国で猛威を振るった「アントニヌスの疫病」は天然痘のパンデミックと考えられているが、これも正確には20世紀に撲滅された天然痘とは別系統のウイルスだった可能性がある。人類は過去に何度も異なる天然痘ウイルスの襲撃を受けてきたのかもしれない。

今後サル痘の人から人への感染が長期にわたって続けば、病原性の高い「新たな天然痘」の出現を招く恐れがある。そのためには、現在のサル痘の流行拡大を食い止める必要がある。有効な治療薬やワクチンは既にある。しかし、それを感染者やその周辺の人々に適切に届けるには、サル痘に感染したとわかっても偏見を持たれない社会でなければうまくいかない。現在の流行は主にゲイの人々の間で広がっているが、サル痘は本人の性別や性的指向を問わず誰でも感染しうる病気だ。流行が起きているコミュニティへの偏見は、そこに属する人たちが病院にかかるのを躊躇させ、さらなる流行拡大を招く。将来サル痘が天然痘の悪夢を招かないようにするには、流行拡大の初期に当たる今の対応が重要だ。

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