号外:なぜ日本酒は斜陽産業になったのか?①
みなさんはお酒を嗜まれるでしょうか。私はお酒が大好きで、毎日の晩酌を楽しみに生きております。ドイツとアメリカで暮らしていたこともあり、ビールは大好きです。欧米のビールは各地の地ビールが基本で、バラエティーに富んでいます。日本では、一昔前までは大手ビールメーカーのラガービールがほとんどで変化に乏しかったのですが、最近は各地の地ビール(クラフトビール)や、大手ビールメーカーが作るクラフトビール的なものもあり、選択の幅が広がったことを喜んでいます。焼酎やウイスキーなどの蒸留酒も飲みます。特にバーボンウイスキーが好みです。醸造酒のワインは、ドイツやアメリカでは良く飲みましたが、帰国してからは飲む機会はだいぶ少なくなりました。気候や食べ物に合う、合わないが影響しているように思います。そして日本には、歴史ある醸造酒である「日本酒」があります。残念ながら、自分が若い頃のことを考えても、日本酒を飲む機会は随分少なくなりました。若者のアルコール離れとも言われますが、日本酒については一部の例外製品を除いて、全世代的に需要が減っているように思います。何故なのでしょうか。日頃はその理由を考えるようなことはありませんが、ここ100年ちょっとの間の日本酒の歴史を振り返ると、その理由が見えてくるようです。
2022年8月18日付け日経クロストレンドに掲載された記事より、
”日本人にとって、日本酒はもはやマイナーな存在だ。いきなりの過激な発言に驚かれるかもしれないが、事実、データが語っている。日本酒の課税移出数量(=出荷量)は、1973年の176万6000キロリットルをピークに下降の一途をたどり、2020年には41万4000キロリットルと、実に76.6%減、4分の1以下になっているのだ。この間、全酒類における国内出荷量(課税数量ベース)のシェアもピーク時の30%弱から5.1%にまで激減。人口減や高齢化、若者のアルコール離れでアルコール飲料全体の出荷量は減少傾向だが、日本酒の落ち込み具合はそれとは次元を異にするものだ。”
”だが、もう少し細かくデータを見ると、右肩下がりの日本酒の中で、むしろ出荷数量を伸ばしているカテゴリーも存在することが分かる。醸造用アルコールを添加せずに、米と米麹(こうじ)と水だけでつくられる酒、すなわち「純米酒」である。実際にどのくらい出荷数量が伸びているのか見てみよう。1990年度には純米酒4万2000キロリットル、精米歩合が60%以下の「純米吟醸酒」は1万3000キロリットルと、合わせて5万5000キロリットルだった。それが、2020年度には純米酒5万4000キロリットル、純米吟醸酒4万4000キロリットル、合計で9万8000キロリットルと、この30年で2倍近くに増えている。”
”この間、日本酒の出荷量全体に占める純米酒と純米吟醸酒の割合は、4%から23%へと大きく伸びた。消費者の日本酒離れが進み、消費量が右肩下がりで減り続ける中、純米酒と純米吟醸酒はむしろ出荷量を増やし、着実に存在感を増してきたのである。アルコール添加の日本酒(アル添酒)は大きく消費量を減らし、純米の酒は消費量を伸ばした。それが過去30年間に日本酒市場で起きたことである。”
”今ではすっかり嫌われている感のあるアル添酒だが、そもそもなぜ、日本酒に醸造用アルコールを添加することが当たり前にように行われることになったのだろうか。日本酒の歴史は古い。澄み通った清水のような清酒の製法が確立されたのは、中世から近世にかけてといわれるが、清酒以前の濁り酒であれば、もっとずっと古くから飲まれてきた。当然、アルコールを添加するようなことはなく、今で言えば純米酒を造っていた。”
”日本酒が大きく変質したのは、明治時代になり近代国家が成立して以後のことだ。酒税収入は、富国強兵を進めたい明治政府にとって貴重な収入源だったから、醸造業は国家による管理下に置かれた。政府は酒造を免許制にして税金逃れを防止する一方、醸造試験所を設立して、より効率的・効果的に日本酒が造れる手法の研究・開発に着手したのである。このときに、酒母(酛、もと)造りの新しい手法が開発される。まず、伝統的な生酛(きもと)に対し、工程を短縮した山廃酛(やまはいもと)が生まれ、さらに効率的な速醸酛(そくじょうもと)も開発された。また、大正時代には、仕込みおけ用に伝統的な木おけに替えてホーロー製のタンクが開発された。”
酒母(しゅぼ):酒母は、酒の元と書いて「酛」(もと)ともいう。文字通り、日本酒造りの元になるもので、「日本酒を醸造するために培養された優良な酵母」が酒母の定義となる。
生酛(きもと):天然の乳酸菌を取り込みながら発酵させる昔ながらの酒母づくりの手法。生酛は時間と手間がかかり、肉体的負担も大きい。
山廃酛(はまはいもと):天然の乳酸菌を活用するが、工程を短縮した製法。生酛の、山卸しという工程を廃したので山廃という。
速醸酛(そくじょうもと):人口酸味料である乳酸剤を添加することで大幅な簡素化、効率化に成功した製法。
”これらの新しい製法や設備は、税務管理局(現在の国税局)に配置された鑑定官の現地指導によって普及が測られた。醸造の近代化・合理化・大量生産化が、税収を上げるための国是だったからである。そして、太平洋戦争開戦後の1942年には食糧管理法が制定され、酒米の配給制が始まった。配給制は米の完全自給を達成するまで長く続き、廃止されたのは1969年のことである。この配給制下において生まれたのがアル添酒だった。アル添酒が生まれた直接の要因は原料となる酒米の不足である。酒米の配給制下で、酒米が十分になくとも酒が造れるよう、醸造試験所により開発されたのが、醸造用アルコールを添加する製法だったのだ。このとき、日本酒の風味を出すために添加物を加え、味を調える手法も開発されている。結果、1944年にはアル添酒が国内全蔵で製造されるようになった。”