戦後の洋裁ブームが意味するところ

私は長く繊維業界で仕事をし、「ファッション衣料とサステイナビリティ」というタイトルのHPを作成したりしていますが、私自身が「ファッション(服や着こなし等)」が大好きで非常に関心があるというわけではありません。どちらかと言えば、ファッションに関しては無頓着な方だと思います。私の主たる関心は、地球環境が抱える課題と、自分が長く仕事をしてきた産業としての繊維の関係の方にあります。とは言うものの、ファッションは私たちにとって非常に身近な、毎日の生活に密着した文化です。文化ですから、時代や社会と共に変化していきます。単に「流行」というだけではなく、人々の生き方や考え方にも影響され、また影響を与えてきたのだと思います。戦後大きく変わったファッションについての考察ですが、改めて振り返ってみると、興味深い点がたくさんあります。

2023年5月10日付け日本経済新聞電子版に掲載された記事より、

人々がまとうファッションには常に時代や社会の空気が表れている。名も無き人びとの間で生まれては消えていく流行。そんなサイクルが映す戦後日本社会の歩みをたどってみる。歴史とは面白いもので、後から振り返ってみて、はじめて見えるものがある。特にファッションのような、日常に密接に、誰もが参加し眺めているものは、同じ時代を生きていると目の前をあっという間に過ぎていくように感じるだけで、後に何が残ったか気づくこともなく、いつの間にかその時のことを忘れてしまう。

この100年で、日本人は老若男女、みなが洋服を着て生活するようになった。ということは、100年前とは、ライフスタイル、自分の体の捉え方、生活に対する考え方まで、違っているということである。しかし、この100年の間に、いったい何が起こったのかと言えば、小さな流行の積み重ねがあっただけだ。その積み重ねが、日本人の身体と身体を取り巻く環境と、その環境における生活を大きく変えてきた。”

終戦から20年ほどのあいだに人々を巻き込んだ「洋裁文化」も、そういった小さな流行の一つである。もちろん当時も、「洋裁ブーム」という名前が付けられ、社会現象であると認識はされていた。しかし「ブーム」と言われなくなったころには、洋装は当たり前となり、気がつけば大きな事件を経ることもなく、それまでは街の風景だった和服をほとんど見かけない社会になっていた。「洋裁ブーム」から、70年経って振り返ってみると、それが、単なる表層的なできごとではなく、新しい価値観や生活のあり方形成した「文化」と呼びうるような現象であったことがはっきりとわかる。”

“戦後復興期の文化といえば、「アプレ文化」が、よく語られる。アプレというのは「戦後」を意味するアプレゲールというフランス語を省略した言葉だが、退廃的で投げやりなニュアンスが込められている。そしてアプレ文化のファッションといえば、闇市や夜の街をさまよう「パンパンガール」が代表的な存在である。パンパンとは、主に米兵相手の売春婦のことで、彼女たちのファッションこそが、戦後ファッションのスタートだと考えられてきた。派手な原色使いのスカーフに、真っ赤な口紅とアイシャドー、太いベルトにフレアスカート、足元にはハイヒール、というアメリカン・ファッションである。1956年に石原慎太郎原作の「太陽の季節」が映画化されて「太陽族」が出てくるまで、どこか影のある彼女たちがファッションを引っ張っていたと考えられてきた。”

“おそらく戦後の風景として記憶に残ったのは、焼け野原に咲いた野花のような、原色に包まれた彼女たちなのだろうが、終戦後すぐに、彼女たちとは比べものにならないほどの人数の若い女性たちが、洋裁学校に通いはじめ、自分で自分の洋服を縫って着るようにもなっている。戦前にも洋裁学校はあったが、夫や子供の服を縫うばかりで、自分の服を着て街に出ることは一部の女性に限られていた。自分で自分の着るものを作ることは、自分で自分の姿を選び、自分で自分の生き方を選ぶことにつながった。あるいは逆に、獅子文六が当時の大ベストセラー「自由学校」で描いたように、男性からの自由を手に入れて自分の人生を生きはじめた女性たちだから、自分の着るものを、しかも伝統から切り離された洋服を、自分の手で作り始めたのかもしれない。

“そういった意味でも洋裁は文化であったが、洋裁は洋風の生活様式や考え方を呼び込み、同じ経験を共有する者として、女性たちをつないでいった。「スタイルブック」とも呼ばれた洋裁雑誌、特に文化服装学院の「装苑」やドレスメーカー女学院の「ドレスメーキング」など、大部数を誇る雑誌を、教育機関が出版するというユニークな文化を生み出した。そこでは、杉野芳子、田中千代などの校長兼デザイナーが憧れの対象として活躍し、あるいは中原淳一や長沢節などのスタイル画家が独特の絵画表現を展開した。スタイル画家が、少女漫画やアニメやイラストへと続く日本のヴィジュアルカルチャーに残した影響は計り知れない。女性たちの目をアメリカではなくパリに向けさせ、ヨーロッパから知識や技術を仕入れ、のちにはそこへ進出していくように導いたのは、アプレ文化の裏で、静かに大規模に広がっていった洋裁文化だ。現在に続く戦後の大衆文化を考える時、見過ごしてはならないスタート地点である。”

Follow me!