号外:関西はパンの消費額が多い!

私は社会人になってから、海外駐在の期間を除いてずっと関西に住んでいます。大学は東京でしたが、アパート暮らしの学生の食生活なんていい加減ですから、自分では「関西の方が関東よりパンをたくさん食べる」というような感覚はありませんでした。関西で普通にパンを食べているだけのつもりだったのですが、全国的に比較すると、関西のパン消費は多いようです。最近はグルメ番組でパン屋さんが取り上げられることもありますし、SNSなどでも(私自身は参加していませんが)「おいしいパン」が話題になることもあるのでしょうね。

2023年8月1日付け日本経済新聞電子版に掲載された記事より、

進々堂の「デイリーブレッド」

関西はパンの消費額が多い。4月に関西に赴任した記者(24)が総務省の統計をひもとくと、関西の食生活の意外な特色が浮かび上がった。確かに関西人のパン好きを肌で感じる。詳しく調べると、パン食文化が広まった背景には都市ごとの古い歴史があった。総務省の家計調査で、個別にデータを取得できる政令指定都市や県庁所在地のパンの消費額を調べた。2013年から22年までの10年間で平均すると、1ヶ月のパンの消費量は京都市(約3137円)がトップ。2位が神戸市(約3111円)、3位が堺市(約2990円)と関西の都市が上位を占める。東京都区部は8位(約2815円)だった。”

“なぜ関西はパンの消費額が多いのだろう。まず消費額がトップだった京都市では老舗ベーカリーショップの進々堂(京都市伏見区)や志津屋(京都市右京区)が多くの店舗を出している。ヒントを求めて、まず記者は進々堂の続木創社長に話を聞いた。進々堂はどんな商品を生み出してきたのか。「もともと塊で売られていた食パンを、日本で初めてスライスされた形で販売し始めたのは進々堂でした」と続木社長。日本初のスライス食パン「デイリーブレッド」は1952年に発売した。続木社長の父にあたる続木満那氏(67年より社長)が、米国のパン業界紙で紹介されていたスライサーを導入。塊の食パンを包丁で薄く切る手間がなくなったことで「デイリーブレッド」は爆発的に売れ、販売店の仕入れ担当者らがパンを入れる箱を持って工場に直接押しかけるほどだったという。”

“では「デイリーブレッド」のヒットは京都でパン食文化が浸透するのに一役買ったのか。続木社長は「手前味噌にはなるが」と前置きをし、「関係はゼロではないと思う。それぐらい爆発的に売れたと聞いた」と控えめに語る。続木社長はこうも分析する。「京都は他都市と比べ住宅地と商業地がはっきり分かれておらず、まだらになっている。住宅地の中にパン屋さんがあるところが多く、家の近くのお店でパンを買うのが習慣になっているのでは」”

“京都市に続いて消費額が多かった神戸市はどうだろうか。神戸市のパン食文化の歴史は、鎖国政策が終わった江戸時代末期ごろまで遡る。神戸が開港したのは1868年。翌69年、現在の神戸市内に2軒のパン屋があった記録が残っており、英国人とフランス人がそれぞれ経営していたようだ。”

“食文化に詳しい大阪学院大学の土井茂桂子准教授は「加えて、神戸には雑居地があったことがパン食文化の根付いた大きな要因になっています」と強調する。江戸幕府は開国にあたり、外国人が住むための居留地を整備した。しかし神戸の居留地は幕末の混乱期にあって期限内に完成せず、便宜的に日本人と外国人の両方が住む「雑居地」が設けられた。雑居地に住む日本人は外国人の食生活を日常的に目にしていた。パンが暮らしの中に浸透しやすい環境だったのでしょう」(土井准教授)”

“歴史のなかでパン食文化を育んできた関西の都市。それぞれ事情が異なる一方、共通点も見えた。消費額が第3位だった堺市など関西の都市は古くから商業で栄えた。進々堂の続木社長は「手でつかんでそのまま食べられるパンは、忙しい商人たちの朝ごはんに最適だったのかもしれません」と語る。形は様々だが、古くからの歴史が「パン好き」な関西人につながったことが分かった。記者も関西に赴任してから朝食はパン、という日が多くなった。明日の朝は、受け継がれてきた歴史に思いをはせながらパンを食べてみようか。”

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