号外:感染症を防ぐ「蚊工場」

感染症の病原体を媒介して、間接的に人を最も多く殺しているのは「蚊」だそうです。日本でも夏には蚊が発生し、刺されればかゆくなるし、うっとおしい存在ではありますが、そこまで危険な生物だとの認識は薄いと思います。しかし、世界では「人類と蚊の闘い」が繰り広げられているのです。

2024年3月2日付け日本経済新聞電子版に掲載された記事より、

蚊はデング熱やマラリアといった感染症の病原体を媒介し、間接的に人を最も多く殺しているといわれる。こうした感染症を防ぐため、細菌に感染した蚊を使って、人への感染を防ぐ手法が国際的に注目を集める。2024年末には世界最大の「蚊工場」が稼働予定だ。人類と蚊の戦いの決定打になるのだろうか。”

蚊の大量生産

米ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団が出資するNPOのワールド・モスキート・プログラム(WMP)は細菌の「ボルバキア」に感染したネッタイシマカをつくる世界最大の工場をブラジル南部パラナ州に建設する。費用は1900万ドル(約29億円)の見込みだ。WMPは「今後10年で最大7000万人を守ることができる」と試算する。感染症が広がる熱帯地域では殺虫剤への耐性を持つ蚊が増えて対策に苦慮している。その切り札と期待されるのがボルバキアだ。体長1マイクロ(100万分の1)メートル前後の細菌で、自然界ではありふれており昆虫の半分以上が感染している。複数の系統があり宿主に与える影響が異なる。”

“オーストラリアのモナシュ大学などの研究チームは2011年、感染症対策にうってつけの性質を持つボルバキアの系統を科学誌に報告した。ネッタイシマカが感染すると、その体内でデング熱の原因となるデングウイルスの増殖が抑えられた。さらに、親から子へ高頻度で感染が引き継がれた。この研究チームを率いた同大のスコット・オニール教授がWMPを創設した。感染したメスからは一定の確率で感染した蚊が生まれる。人でもB型肝炎や梅毒のように母から子に病原体が伝わることはある。感染した蚊を野外に放てば地域にいる蚊全体へと感染が広がり、人が刺されてもウイルスをうつされにくくなる。WMPは感染したオス・メスの両方や、メスだけを放出する取り組みをしている。2011年のオーストラリアを皮切りに14ヶ国で実施している。”

新設する工場では年間約50億匹のボルバキア蚊をつくる予定だ。対策をする場所に工場で産んだ卵を運んで羽化させる。多くの場合は4~6ヶ月かけて数百万匹放つ。「新たな地域の政府などと話し合いを進めている。根拠を示す段階から世界へ規模拡大を図る段階に来た」(オニール氏)。先行例で効果はでている。インドネシアのジョグジャカルタ市での調査によると、ボルバキア蚊を放った地域では、放っていない地域に比べデング熱の発生率が77%減り、入院率は86%減った。デングウイルスだけでなく、チクングニア熱やジカ熱の原因ウイルス、マラリアを起こす寄生虫などの増殖を防ぐ効果もあるとみられている。”

“ただ感染症が発生しにくくなると聞いても、蚊に刺されること自体に抵抗を覚える人もいるだろう。そこで蚊の数に注目した戦略をとるのがシンガポールだ。米アルファベット子会社のベリリー・ライフサイエンシズはシンガポール当局と協力し、感染したオスの蚊のみを放つ事業をしている。2月から放出地域を広げ、同国の全世帯の3~4割をカバーする計画だ。感染したオスと非感染のメスが交尾すると「細胞質不和合」という現象が起きる。詳しい仕組みは不明だが卵がふ化できなくなり、次世代を減らせる。先行して実施した地域では蚊の数が約9割減り、住民がデング熱にかかるリスクが最大約8割減った。オスとメスの両方を放つ方式では蚊が減らないため、市民の理解を得にくい面があった。”

“課題も見えてきた。同国当局によると、同国のネッタイシマカにボルバキアを感染させても、蚊の数を減らさないとデング熱の感染を減らす効果は弱かったという。同じネッタイシマカでも地域差があるようだ。長期的な効果の評価もこれからになる。生態系への影響はどうか。東京慈恵会医科大学の嘉糠洋陸教授は「人の生活圏にいる蚊は人の血を吸って増える。人と密接な関係があり生態系との関係は薄い。数が減っても影響はほとんどないだろう」という。愛媛大学の渡辺幸三教授は「ボルバキアは蚊の放出地域には外来生物になる。ただ人の健康を守ることを差し置いて指摘するのはエゴでもある」と話す。”

<蚊媒介感染症>病原体を持つ蚊に刺されるのが原因でかかる感染症。デング熱やジカ熱、日本脳炎などはウイルス、マラリアは寄生虫が原因となる。感染者は世界規模で年々増えている。特にデング熱では、世界保健機構(WHO)に報告された世界の症例数は2000年の約50万件から2023年には550万件以上に増えた。ブラジルのリオデジャネイロ市は2月、デング熱の流行で非常事態宣言を出した。

Follow me!