砂漠にできたファッションの墓場①

ナショナルジオグラフィックに掲載された記事なのですが、これは大問題です。安価に大量生産して大量に販売するファスト・ファッションが、環境に及ぼす悪影響については多くの批判がなされています。大量に生産・販売された衣類は、短い着用期間の後に(あるいは売れ残って)大量に廃棄されています。日本国内で家庭から一般ゴミとして廃棄された衣料は、行政が回収し、その多くが焼却されています。焼却されればCO2が排出されますが、大量の廃棄物としての廃衣料が私たちの目に直接触れることはあまりありません。しかし世界に目を向ければ、大量の廃衣料が放置され、環境に甚大な悪影響を及ぼしている場所があります。そして欧州ではファスト・ファッションへの規制強化が進んでいます。日本国内で目に触れることがなくても、これは現実です。私たち消費者が現実から目を背けずに、自分たちの消費行動において何に配慮するのかを真剣に考えなければ、この状況は改善されません。

National Geographic(日本版)2024年4月号に掲載された記事より、

アタカマ砂漠の廃衣料の山

“アンデス山脈と太平洋に挟まれたチリ北部のアタカマ砂漠には、赤みがかったオレンジ色の岩山と峡谷が果てしなく広がっている。ここは地球上で最も乾いた砂漠の一つで、天文ファンが一度は訪れたいと憧れる、美しくさえわたった星空が見られる場所だ。だが、アタカマ砂漠には、とても美しいとはいえない一面もある。ここは世界中から捨てられた衣類が集まる「ごみ捨て場」なのだ。衣料廃棄物が急増したのは、「ファスト・ファッション」として知られる安価な衣料品の大量生産が急速に進んだことが背景にある。衣料廃棄物の量は、国連が「環境と社会の緊急事態」と呼ぶレベルに達している。「蛇口」を閉めて、その流れを止めることが課題だ。”

2000~14年の間に、衣料品の生産量は2倍に、消費者の購入量は6割増えたが、着用期間は半分に減った。製造から1年以内に処分場や焼却炉に行き着く衣類は、全体の5分の3と推定される。毎秒、トラック1台分の古着が、廃棄または焼却されていることになる。

廃棄された古い靴

処分施設の大半は南アジアかアフリカにあり、どの国も受け入れた量を処理しきれない状態だ。ガーナの首都アクラの郊外にある埋立地には、高さ20メートルにもなる廃棄物の山があるが、その6割が衣類といわれており、危機的状況の象徴として世界的に知られている。チリ北部の光景は、あるオンライン動画で「ファッションごみベルト」と呼ばれている。海の漂流ごみが集中する「太平洋ごみベルト」の陸上版という意味だ。アルト・ホスピシオという人口12万人の貧しい都市の郊外には、さまざまなブランドのラベルがついた衣料廃棄物の巨大な山が、見渡す限り広がっている。南米の一国が世界のアパレル産業の廃棄物処分場となった経緯には、目まぐるしく変わるファッションのトレンドだけでなく、グローバル化と貿易の問題が深く関わっている。”

“しかし、チリの人口集中地区から1600キロ近くも離れた砂漠地帯に、どうやってファスト・ファッションのごみがたどり着くのだろう。一見、不思議だが、実はアタカマ砂漠の西端にあるイキケという沿岸都市には、南米最大級の自由貿易港があり、そこにヨーロッパやアジア、南北米大陸から、毎年、数百万トン単位の衣類が送られてくるのだ。チリの通関統計によると、2023年の合計は4600万トンだった。自由貿易港では、輸入品に関税や手数料がかからない。再輸出品にも同様の措置がとられることが多く、経済活動を促す一助となる。イキケの自由貿易港は、雇用の創出と低迷する地元経済の活性化を図るため、1975年に開設された。チリは世界最大級の古着輸入国となり、イキケを一変させ、ファスト・ファッションの爆発的拡大に伴って、輸入量も激増した。イキケ市民にとって、自由貿易地域に指定されたことは、革命的な出来事だった。誰もが急に、これまで夢にも思わなかったようなもの、例えば自家用車などを買えるようになった。1990年代のあるとき、大量のダウンジャケットの積み荷が港に届いた後、市民が皆、同じようなダウンジャケットを着ていた。それは、その後に起きることの前触れだった。この地域はまた、衣料廃棄物の仕分け作業をするための集積地としても発展した。

“ある衣料品の輸入会社は、主に米国やヨーロッパで慈善団体が経営する中古品店から服を仕入れていて、イキケに到着した衣類は、作業員の手で「高品質」から「低品質」までの4段階に分類される。そして、最も品質の高いものはドミニカやパナマ、アジアやアフリカに輸出し、時には米国にも再販売のために送っている。”

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