号外:ウクライナで進むロシア語離れ
言語は文化そのものだと思います。人は母語で思考します。母語に適切な言葉がない概念は、なかなか理解できません。異言語話者同士の理解を深めるには、それ相応の両者の努力が必要です。私は仕事の関係で英語を使いますが、あくまでもビジネス英語の範囲だと認識しています。ビジネスで使う上では特に不便を感じませんが、ネイティブの話者との間には理解のギャップが存在するという前提で考えています。同じ母語を話す人々は、歴史や風土、生活様式、価値観など(=文化)を思考の背景として共有しています。ですから、そう簡単に“ネイティブ”のようになれるはずがありません。とは言うものの、同じ母語を話す人同士であっても、誤解や意見のすれ違いは頻繁に起きます。その一方で、異言語話者同士でも友人になることは十分に可能です。言葉はとても大切です。少なくとも、母語(私の場合は日本語)を日々丁寧に使うという努力をしなければならないと思います。
2022年9月6日付け日経ビジネス電子版に掲載された記事より、
“ウクライナには、ロシア語を母語とするウクライナ人がかなりの割合でいる。しかし、ロシアによる侵攻を受け、多くのロシア語話者がウクライナ語に切り替える努力を始めた。それを象徴するには、ロシア語話者だったゼレンスキー大統領の流ちょうなウクライナ語だ。”
“ロシアのプーチン大統領はウクライナ侵攻に先立ち、「ロシアは、オデーサのような都市で暮らすロシア語話者を守る必要がある」と発言した。略奪の意図を正当化しようとしたものだ。この身勝手な論法が今、オデーサで嘲笑的なジョークの的になっている。最近流行のジョークはこうだ。”
“「オデーサで長く暮らす友人同士が出会った。すると一人が突然、ウクライナ語で話し始めた。『どうしたんだい?』と相手が尋ねた。『ウクライナの民族主義者が怖いのかい?』。すると、その人はこう答えた。『そうじゃない。ロシア語を話すのが怖いのさ。プーチンが僕を開放しなければならないと思うかもしれないからね』」
“ウクライナでは、何十年も前からウクライナ語とロシア語の問題が論争の種になってきた。選挙の前や変革期には、政治的優位性を巡り、双方の忠誠心や憤りがかき立てられがちだった。大雑把に言うと、国の西部では主にウクライナ語が話され、南部や東部ではロシア語が優勢になる。その間の地域では、常に両言語が曖昧に併用されてきた。両者の混合言語「スルジク」が使われる地域もある。しかし今、ロシアによる侵攻を受け、入り組んでいた事態が明確になりつつある。ロシア語を話す何百万人ものウクライナ人が、ロシアの名の下に行われた行為に衝撃を受け、ウクライナ語に切り替え始めているのだ。”
“南部の都市オデーサでは、昔からロシア語が話されてきた。今、オデーサではウクライナ語学習熱が高まり、言語の移行が広く進行中だ。「性別や生い立ちとは関係なく、ミサイルは人々の気持ちを動かすものです。プーチン大統領はオデーサをウクライナ語の街にする号砲を放ったわけです」と言われている。”
“プーチン大統領は、ウクライナへの支配力を主張したいあまり、いくつかの基本的事実を見過ごしてきた。確かにロシア語とウクライナ語は同根で、学術的には古東スラブ語と呼ばれる言語を祖とする。しかし、両言語は遅くとも17世紀には分離していた。語彙分析から、語の対応では、スペイン語とポルトガル語の関係と同程度の関係だと分かる。ウクライナを訪れる人が時に誤解している点だが、両方の言語が広く使われ、寛容な二言語主義が取られているからといって、両言語に互換性があるわけではない。”
“それだけではなく、同じくらい重要な点として、言語におけるウクライナのアイデンティティーが何世紀にもわたり損なわれてきたという問題がある。最初はロシア帝国が、その後ソビエト連邦が、ウクライナ語を田舎の崩れたロシア語方言として扱う政策を取ってきたためだ。”
“その状況が今、一変しつつある。オデーサ市内で以前は、ウクライナ語で話しませんかと言うと、理解できずに不機嫌な反応を見せる人がいたという。しかしここ数年間でそういう人がすっかり少なくなった。2月の侵攻開始後にウクライナ語を習い始めた人も多い。2020年からウクライナ語に取り組み始めた女性は、ロシア軍の戦車が国境を越えてから「ずっとよい生徒」になったと話す。彼女によれば、ウクライナ語の素朴さは、ものごとに対する異なる見方の表れだという。「ロシア語で病院を意味するバリニーツァは痛みという言葉からきていますが、ウクライナ語のリカルニャは治癒という言葉に基づいています。おわかりでしょう。こういう例はたくさんあります」。”
“キーウとリビウを拠点に活動する社会学研究グループ「レイティング」が実施した調査によると、ロシア語からウクライナ語への転換がウクライナの全地域で加速しているという。母語はロシア語だと回答する人は、10年前には42%だったが、今では20%しかいない。ウクライナの親ロシア勢力は、ロシア語を公用語の一つにするよう20年前から求めてきた。この要求への支持も急落している。侵攻前は4人に1人が支持していたが、今では、これがよい考えだと言う人はわずか7%だ。もっとも若い世代は学校で、ほぼウクライナ語だけで授業を受けている。ロシア語はもはや大衆文化の共通語ではない。極端な例だが、キーウ一番の大学のロシア語学部は「東スラブ応用情報研究学部」に改称した。”
“しかし、恐らく最も目に付く変化は、政治の分野にある。ウクライナのゼレンスキー大統領の母語はロシア語で、以前は明らかにウクライナ語を話すのに苦労していた。しかし今は、オデーサの手厳しい女性たちでさえ、大統領の流ちょうなウクライナ語に感心すると言うほどだ。ただしゼレンスキー大統領はこの地域の歴史を十分に知らない、と不安を口にする人もいる。そうは思わない人もいる。「その点は大目に見てもいいのでは。ゼレンスキー大統領には手いっぱいの仕事があるし、歴史を知らないのは歴史をでっち上げるよりましだ」。誰のことをほのめかしているのかは明らかだ。“