号外:EU「ネットゼロ」へ地熱開発
2024年1月31日付け日本経済新聞電子版に掲載された記事より、
“2050年までのネットゼロ(温暖化ガスの排出実質ゼロ)を達成するため、欧州連合(EU)は太陽光や風力に続き、地熱の利用拡大に動く。地下のマグマなどで熱せられた水蒸気や高温の水を使う地熱の利用は環境負荷が小さく、リチウムなど重要原材料(CRM)の需給にも左右されない。気候変動対策でリードするEUの取り組みは世界的な地熱開発につながる可能性がある。”
“EUの欧州議会が1月18日、地熱資源の開発と投資の拡大を促す決議を採択した。気候変動対策の目標達成やエネルギー安全保障の強化、欧州企業の競争力向上にふれたうえで「EUの戦略の実現に地熱エネルギーが大きく貢献する可能性がある」と強調した。執行機関である欧州委員会にEUとして地熱を発電や冷暖房に利用する枠組みの策定を求めた。”
“EU全域で地熱資源や地質データ収集を進め、民間企業などがこれらの情報にアクセスできる体制を整える。現行の鉱業法を見直し、小規模な地熱開発が容易に許認可を得られるよう加盟国に求める項目も盛り込んだ。地熱開発に関する研究開発への投資、次世代地熱技術への支援も求めている。”
“気象条件によって左右される太陽光や風力とは異なり、地熱による発電は安定的に電力を供給できるベースロード電源と位置づけられる。それでも、世界の再生可能エネルギーに占める地熱の割合がわずか0.5%にとどまるのは地質調査や試掘で多額の初期投資が必要なうえ、掘削しても十分な水蒸気が得られないリスクの高さがあるためだ。オランダでは掘削の30%が失敗に終わっている。欧州議会は企業や金融機関に地熱開発を促すため、リスクを低減するための公的支援の必要性を訴えた。”
“もともと欧州は地熱発電の適地とは言い難い。地熱資源を活用しやすいのは比較的浅いところにマグマがあるプレート(巨大な岩盤)の境界線上など。アジアから米州にまたがる環太平洋火山帯や東アフリカの大地溝帯(グレート・リフト・バレー)が適地とされている。欧州では地熱の大規模な利用はイタリアやポルトガル・アゾレス諸島、EU非加盟のアイスランドなどに限られる。米調査団体のグローバル・エナジー・モニター(GEM)のプロジェクトマネージャー、カサンドラ・オマリア氏は「小規模な地熱発電所はドイツやオーストリア、ハンガリー、ベルギーなどにあるが、伝統的な地熱発電は特殊な地質を必要とするため、欧州にとっての選択肢は多くない。地熱利用は発電よりも冷暖房やヒートポンプが中心になる可能性がある」と指摘する。
“オマリア氏が注目するのはEGS(増強地熱システム)などの新技術だ。地中に自然にある水蒸気や高温水を掘り当てるのではなく、乾燥した地中の高温岩体に人工的に水を通し蒸気を発生させるなどの仕組みで、ドイツが研究に取り組んでいる。「EUの地熱戦略に新技術の実証が含まれるとすれば、世界のエネルギー転換のゲームチェンジャーになる可能性がある」と話す。”
“太陽光や風力で先行するEUがあえて地熱にも目を向け始めた理由は2つありそうだ。一つはリチウムやコバルトなどの重要原材料の「供給のわな」への懸念だろう。太陽光や風力の発電機器に幅広く使われる重要原材料はその産出国や供給国がかなり偏っている。欧州会議の報告書を読むと「地熱設備はほかの再生可能技術ほど重要原材料を必要としない」との文言があるのがわかる。”
“ブリュッセルの研究機関であるブリューゲルの報告書によると、コバルトは世界全体の75%がコンゴ民主共和国(旧ザイール)で産出されており、しかも、その99%が加工精錬のために中国へ輸出されている。再生可能エネルギーや電気自動車(EV)が急速に普及するなか、少量でも必要不可欠な重要原材料の安定供給にはどうしても不安が拭いきれない。もう一つはネットゼロ実現の道筋の険しさ。気候変動に関する欧州科学諮問委員会(ESABCC)は1月に公表した報告書で「EUは温暖化ガスの排出を大幅に削減してきたが、2050年までのネットゼロを達成するには追加的な努力が求められる」と指摘した。環境政策で先行するEUだが、2015年以降は森林の温暖化ガス吸収が大幅に落ち込むなど、計画通りに進んでいない分野もある。食料供給を優先するために「聖域」とされてきた農業分野でもカーボンファーミング(炭素貯留農業)にカジを切っており、EU加盟国の多くでほぼ未開発の再生可能エネルギーともいえる地熱に目を向けるのは自然な流れだ。”
“米国やインドネシア、ケニアは地熱開発を拡大している。GEMによると、インドネシアは2270メガ(メガは100万)ワットの地熱発電設備に加え、それを上回る3408メガワットの設備を建設・計画中だ。西海岸が環太平洋火山帯に含まれる米国は設備容量を現行の1.3倍以上に増やす。ケニアは地熱発電の設備容量を一気に3.4倍に拡大する。水力や風力とあわせて再生可能エネルギー100%の体制を目指し、輸入に頼らない電源の確保を経済成長につなげる方針だ。東アフリカではウガンダやタンザニア、エチオピアも地熱開発に動き始めている。”
“日本は地熱発電の「眠れる獅子」といえる。実は地熱資源量は米国、インドネシアに次ぐ世界第3位とされており、発電設備容量でほぼ並ぶイタリアの7倍以上と推計される。地熱資源の約8割が国立公園内などで活用されていないが、技術やノウハウには優位性があり、地熱発電プラントの設備容量では東芝、富士電機、三菱重工業(旧三菱日立パワーシステムズ)の3社が世界のほぼ7割を握る。気候変動対策で世界の主導権を握るEUが地熱開発に本腰を入れれば、日本でも地熱資源の活用への関心が高まることが予想される。火山の噴火や地震のリスクばかりではなく、地熱がもたらす持続可能なエネルギーをもっと利用することにも目を向けたい。”