号外:気候変動で世界が注目、長野県諏訪湖で582年目の湖面観察

温暖化による気候変動に関連した、とても興味深い記事です。世界に類をみない、582年間継続して記録された観察データが日本にあります。元々の目的とは異なりますが、そのデータを分析することで、どのように温暖化が進んできたのかをうかがい知ることができます。長期間にわたって、一貫して記録された観察データに世界の注目が集まっています。

2024年1月11日付けSustainable Brands Japanに掲載された記事より、

2024年1月6日、長野県諏訪湖畔でことしも御神渡り(おみわたり)観察が始まった。諏訪市中心部にある八剱(やつるぎ)神社の宮司、総代が極寒の朝6時半に集合し、湖面と水中の水温を測る。氷が張っていたらその状態をチェックしながら氷を割って厚さを測る。地味な作業だが、この観測が今や世界の環境学者らの注目を集めている。理由は観測期間である。観測がスタートしたのは1443(嘉吉3)年。以来、581年のデータが途切れることなく蓄積されてきた。地球温暖化の推移をみるのに、これを超える観察データはほかにない。”

御神渡りとは、神が通う道である。夜明けの前後、轟(ごう)音とともに氷が割れ、重なり合って一筋の道ができる。昔の人々はそれを神が通う道だと信じた。観察記録をつけ始めた1443年は、日本では室町時代中期。ヨーロッパは中世が終わり、大航海時代が始まろうとする時期だ。なぜ諏訪湖で、という理由は2つある。一つは諏訪湖の自然環境が御神渡り現象に適していたこと。半世紀にわたって御神渡り現象研究した北海道教育大学名誉教授の東海林明雄さんによると、御神渡り現象が出現する湖の条件は①直径1.5キロ以上の淡水湖②浅いこと③厚さ10センチ以上の氷が張る寒さ④積雪の少なさ⑤1日の最低気温と最高気温の差が大。この条件に当てはまるのが諏訪湖だった。”

もう一つの理由は諏訪の人たちの信心深さだ。諏訪には諏訪大社が4社あり(上社前宮、上社本宮、下社秋宮、下社春宮)、その神は龍の姿になって現れると信じられている。かつての御神渡りは高さ1メートル以上の氷が山脈状になって湖を横断した。そそり立つ氷がうねりながら延びるさまは、まさに龍。諏訪湖から流れ出る川は一本しかないが、諏訪湖に龍神が棲むゆえにその川は天竜川と呼ばれている。

御神渡り現象が出現するのは湖が全面結氷しなければならない。夜が明けて気温が上がると氷の体積が膨張する。ところがすでに全面結氷しているので、横には膨張できない。押しとどめられた力が限界を超えた瞬間、破壊を伴って一気に膨張する。以上が定説だが、夜間に起きるという説もある。氷板の上下で異なる圧縮、伸長が起きることによって下面に小さなクラックが発生、そこに入った水が氷になるときに体積が膨らむ。それが氷板を横方向に拡大させようとする、と。”

全面結氷し、少なくとも10センチ程度の氷が張るには冷え込まなくてはならない。八剱神社関係者の間では「零下10度が3日続くこと」が目安として伝えられている。実際はそう単純ではないのだが、いずれにしろ寒さが鍵ということは間違いない。1443年から昭和の末に当たる1986年までの534年間で御神渡りが出現しなかったのは44回(欠落を含む)。91.8%の確率で御神渡りが出現している。たとえば明治、大正に御神渡りが出現しなかったのはそれぞれ2回、昭和に入っても、戦争が終わる昭和20年までに出現しなかったのは2回(昭和7年と12年)しかない。それが一転するのは1987(昭和62)年からだ。4年連続で不出現。1987年から2023年(令和5年)までの37年で御神渡りが出現したのは9回しかない。出現率は24.3%。なぜ御神渡りが出現しなくなったのか。”

「世界的な気候変動の中で、注目される記録のひとつになっています」と話すのは八剱神社宮司の宮坂清さん。「ここ2、3年はアメリカからの取材が多いですね。でも『自然イコール神』という日本人の感覚はなかなか理解してもらえないですね」。御神渡りができなくなり始めたのは20世紀中盤だった。20世紀後半になると御神渡りの出現が珍しくなり、ここ10年では2018年(平成30)年のわずか1回だけ。護岸のコンクリート化など様々な要因があるにしろ、多くの人が地球温暖化に主因を求めている。

“宮坂さんが父親から宮司を引き継いだのは38年前の1986(昭和61)年だった。以来、厳寒期の湖面観察を続けている。宮坂さんが観察を始めたとき、ちょうど御神渡りが姿を見せなくなっていた。御神渡りが出現しないことを八剱神社では「明けの海」と表現するが、宮坂さんがまとめた一覧表には「明けの海」が並ぶ。40年近くも丹念に気温や水温を測ってきただけに、宮坂さんはデータと皮膚感覚の双方で温暖化を感じている。”

“581年間の記録は、諏訪大社の「当社神幸記」としてスタートした。載せているのはいつ諏訪湖が結氷したか、いつの時間帯にどこからどこまで御神渡りが出現したか。それを受け継ぐ形で「御渡(みわたり)帳」、現代まで続く「湖上御渡注進録」と書きつないできた。「湖上御渡注進録」の執筆責任者は八剱神社の大総代だが、文案を考えるのは宮坂宮司。宮坂さんは581年間の観察記録を管理し、読み解いてもいる。”

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