スポーツメーカー、関西になぜ多い?

2021年1月26日付け日本経済新聞電子版に掲載された記事より、

ミズノアシックスデサント。国内のスポーツ用品大手は関西に集中している。プロスポーツチームも多く、「高校野球の聖地」甲子園球場もある。”

関西スポーツメーカーと歴史

“甲子園での高校野球の歴史をひもとくと、すぐにミズノ創業者、水野利八氏の名前が出てきた。1906年、大阪で靴下などを扱う水野兄弟商会(現ミズノ)を設立。1914年に堂島に工場を解説し、運動用ウェアの生産を始めた。同社は「当時は、はかまをはいて野球をする人も多かった。洋服の運動用ウェアは動きやすく学生から需要があったようだ」と説明する。”

“水野氏は、画期的な商品を次々と生み出したアイディアマン。襟付きのカッターシャツもその一つだ。それまでのシャツは着るときに襟を着けていた。どう売ろうか考えている時に野球を観戦。観客が「勝った、勝った」と喜んでいる姿を見て「カッターシャツ」と名付けた。甲子園大会の土台を築いたのも水野氏だ。”

“野球にのめり込んだのは、創業前に京都の織物問屋で働いていた19歳のころ。海外に憧れ「外国人と知り合いになれるかも」と思い、神戸の外国人チームと地元の野球クラブの試合を見に行った。白球に必死で飛びつく選手の姿に感動し、グラウンドに通うようになったという。「野球をもっと広めたい」。水野氏は1913年、関西学生連合野球大会を大阪・豊中で開催した。1915年には全国大会になり、後の夏の甲子園大会となる。参加校は第1回の約70校から右肩上がりで増え、第10回には約260校に。1924年に完成した甲子園球場の収容人数は4万人程度。球場をつくろうと思うくらい野球は人気だった。”

“野球ブームに商機を見いだす企業も出始めた。1920年に渡辺梁三商店(現ゼット)、1935年にツルヤ(現デサント)が大阪で創業した。当初はゼットがカバンやスポーツ用品、デサントが紳士服を手掛けていたが、野球用具に力を入れるようになる。近代的な紡績会社、繊維商社、織物産地が集まっていた大阪の土壌が野球用具の生産を助けた。大阪では1882年設立の大阪紡績会社(現東洋紡)をきっかけに大阪湾を囲むように繊維産業が発達。「東洋のマンチェスター」と呼ばれた。ミズノは創業期から革のグラブを手掛けるが、革は貴重で、帆布製が主流だった。”

“神戸のゴム産業の存在も欠かせない。英ダンロップが1909年にタイヤ工場(現住友ゴム工業)を神戸につくると、靴底に使うゴムの流通量が急増し、加工業者も増えた。1949年に鬼塚商会(現アシックス)を創業した鬼塚喜八郎氏は地元のゴム加工業者で見習いとして働いた経験を活かし、バスケットボールシューズを開発した。”

「カッターシャツ」の発明も、甲子園野球大会の土台を築いたのもミズノの創業者、水野利八氏だったのですね。私は関西在住ですが、全く知りませんでした。その後、繊維産業やゴム産業などの地場産業を背景に、スポーツ用品企業が次々に関西で生まれたのですね。新型コロナウイルスの感染拡大でスポーツ大会の中止・延期が相次いでいます。昨年から延期された東京オリンピック・パラリンピックの開催も予断を許しません。大手スポーツメーカーの業績も厳しくなっています。感染症を克服し、心おきなくスポーツを楽しめる日常が早く戻ってくることを、強く願っています。

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