号外:獺祭はNYへ、日本酒の底力-②

前回は、「ドンペリの巨匠」が富山で日本酒造りに挑戦する話題でした。初めて発売した日本酒は、720ミリリットル入りで税別1万3000円です。私なんかでは手が出ないお値段ですが、さぞかしおいしいことと思います。今回は、山口県岩国市の旭酒造、そう「獺祭」の酒蔵がニューヨークに進出する話題です。こちらもかなり高価なのですが、そのうえ人気が高くてなかなか手に入りません。昔、フランス人の知り合いに「どうして日本はフランスから安いワインを沢山買い付けるのか? 日本には日本酒という素晴らしいものがあるじゃないか」と言われたことがあります。前回の記事にあるように「日本酒の未来は日本の外にある」のでしょうか?もう一度日本酒をじっくり味わってみようと思います。

旭酒造「獺祭」の酒蔵(山口県岩国市)

“逆に日本から海外に出る獺祭の製造元、旭酒造(山口県岩国市)。桜井博志会長(70)が1990年に立ち上げた獺祭で急成長を遂げ、「山口の山奥の小さな酒蔵」から日本酒大手の一角にのし上がった。その海外生産が単なる事業拡大ではないことは、米ニューヨーク州を進出先に選んだことからうかがえる。博志さんの息子で社長を務める桜井一宏さん(44)が「ここから始めることが大事」と話す、その理由とは。”

酒蔵を建てるのはマンハッタン中心部から約200キロメートル離れたニューヨーク州北部。現地水道の水源エリアと申し分ない立地だが、注目すべきはそこから5分ほどと近くにある料理学校だ。「カイナリー・インスティテュート・オブ・アメリカ(CIA)」。4年制の学位を与える料理大学として著名なCIAから「和食を学べる場をつくりたい。酒蔵も欲しい」と旭酒造に声がかかったのが、進出のきっかけだった。”

“食事に合わせる「食中酒」として欧米でポピュラーなワインと日本酒とでは、合う料理の種類も異なる。日本酒を造るところから見るべきだが、日本の蔵は遠すぎる。そこで身近な場所で学ばせたい。CIAの思いに、一宏さんらも賛同した。同校が輩出する料理人が日本酒普及を後押ししてくれるとの計算もある。だが、ニューヨークなのはそれだけではない。”

ニューヨークは「海外で初めて獺祭の人気に火が付いたところ」(一宏さん)だ。2000年代半ば、杜氏社長だった博志さんが東京で獺祭を成功させた次に展開を探った海外で、飲む人などの反応が一番良かったのがニューヨーク。その開拓者として白羽の矢が立ったのが、現社長の一宏さんだった。酒業界以外への就職を経て2005年に旭酒造に入社した直後のことだ。”

“ニューヨーク赴任当初は、挫折続きだった。飲食店に飛び込み営業をかけるがマイナーな日本酒の中でも知名度が低く、300ミリリットル入りの小瓶5~6本しか売れない日も。同情で置いてもらい「情けない」と感じたこともあった。心が折れそうななか、親しい輸入業者や飲食店ばかりに足が向いたが、これが吉と出る。店から「客寄せパンダ」としてお酒のイベント開催を求められ、イベントの際に来店客に直接売り込んだ効果がじわじわ出てきた。客は「無償の営業部長」、口コミで獺祭の評判がニューヨークから香港へ、欧州へと広がってゆく。金融ネットワークの中心で、米東海岸にあって欧州にも地理的に近く食を含めた「情報、文化の発信拠点」となるニューヨークの重要性を思い知った。今や輸出が売上高(2020年9月期で106億円)の3割超とコロナ禍の中でも会社を支えるまでに増えた。旭酒造にとっても、一宏さんにとっても、まさに原点だといえる。”

「獺祭」の売上高と輸出比率

“ニューヨークの水と、米国産、一部は日本産の山田錦で作るSAKE。手ごろな価格で様々な飲食店に入り市場の裾野を広げることが期待され、ペアを組むのは和食に限らない。そんな「日本酒の国際化」は、一宏さんが次に開拓したフランスで出会ったフレンチの巨匠、故ジョエル・ロブションさんと共有した問題意識だった。”

“一宏さんが獺祭の名を売るため開いたお披露目パーティーに、ロブションさんはお忍びで訪れた。独自に獺祭とフランス料理との組み合わせを試し、ロブションさんのスペシャリテ(看板料理)として有名なキャビアのほか、野菜とペアリングしうまみを引き出すことを提案。日本酒と食の世界を豊かに広げてくれた。”

“2018年には協業でパリにレストラン「獺祭ジョエル・ロブション」を開店した。それから間もなくロブションさんはこの世を去った。店は直近、新型コロナウイルス禍でのロックダウン(都市封鎖)に伴いテークアウトのみで営業するが、早期の全面再開を目指す。「日本酒が合うのはすしだけではない」とロブションさんの遺志を継ぐ。一宏さんは巨大市場・中国で獺祭と宮廷料理「満漢全席」をペアリングする構想も温めている。”

“山田錦の米一粒一粒から雑味成分を削り取りコストがかかる純米大吟醸酒しか基本的に造らない獺祭。コロナ禍前には年間で約3000回もの仕込みを重ね、手作業で携わる社員技術者の経験とタンク一本一本から集めるデータで質量とも世界随一だ。そのノウハウを持ち込みニューヨークで造る酒には「獺祭ブルー」と名付ける。「青は藍より出でて藍より青し」の故事にならい、獺祭をベースによりおいしいSAKEとして発展させる。

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