号外:国防を問う、「日の丸ワクチン」

まだまだ収まる気配を見せない新型コロナウイルス感染症のまん延(パンデミック)ですが、この経験をきっかけに色々と考えさせられることがあります。「国防」という概念もその一つです。国防にも色々あります。敵対国の侵略に対する国防だけではなく、自然災害やパンデミックから国家、国民を守ることも国防です。見方や考え方は人それぞれでしょうが、平穏な日常が必ずしも保証されたものでないことを実感する今こそ、もう一度考えてみる必要があると思います。

2020年4月11日付け日本経済新聞電子版に掲載された記事より、

「我々の最大の災害は我々自身より来る」。おびただしい犠牲者を出した18世紀のリスボン地震に衝撃を受けた思想家ルソーはこんな警句を残している。”

“新型コロナウイルスの感染が中国で最初にまん延したとき、武漢からチャーター機の第1弾で帰国したうちの約190人を迎えられる政府の施設はなかった。トイレ、バス付の個室が条件だったからだ。急きょ受け入れたのは千葉県内の民間ホテル。安全保障の死角が浮き彫りになった。”

“国内で感染者が見つかった当初、自民党に示された政府対策本部の組織図に防衛省が入っていなかった。自衛隊の医官や看護官をスタッフ不足の病院に派遣するには都道府県などの要請が必要だが「自治体が自衛隊を活用するすべを知らない」(自民党幹部)からだ。”

コロナ禍で存在感を発揮したのが各国の軍組織だ。イスラエルはワクチンをいち早く確保するため、軍が世界の製薬会社の開発状況を情報収集し、接種にも予備役から投入した。韓国では千人単位の医者の卵たちが兵役の代わりに感染爆発地域に送り込まれた。自衛官OBの中谷元・元防衛相は「厚生労働省、警察、消防などは平時の発想だ。有事の危機管理に慣れていないので『ダイヤモンド・プリンセス』の際も対処に時間がかかった」とし「自衛隊を平時から組み込んでいくべきだ」と語る。”

ノーベル賞受賞者を数多く輩出した日本で自前のワクチンをつくれない疑問やいらだちが充満する。翌年以降の需要が読めないワクチンはビジネスとして成り立ちにくい。緊急時でも承認に時間が掛かる仕組みも欧米勢より出遅れている背景だ。今後も海外からの購入に頼れば、輸出を規制している欧州連合(EU)のさじ加減ひとつで日本に入らなくなりうる。

“日本製薬工業協会は、平時の予防接種から有事の感染症対策まで統括する司令塔の機能設置を提言している。大量生産したワクチンが余った場合に国が買い取って備蓄したり、外国への支援に活用したりするのも安全保障や外交カードとしてとらえられないか。「いまは戦時下にある」と語るバイデン米大統領は同盟・友好国と協力したワクチン生産、供給をめざす。新興・途上国に輸出攻勢をかける中国を意識する。ワクチンが大国間のパワーゲームのツールになった。

“日本にはイスラエルや韓国のような「準有事」の体制がなく、人の移動をただちに遮断できる中国などとも国柄が異なる。だからこそ、国家的危機への対応をあらかじめ練っておく平時の国防がより重要になる。ことは単純ではない。自衛隊の活用やワクチンにとどまらず「国家のシステムに関わってくる」(政府高官)からだ。対策のスピードを追求すれば、個人情報の管理や私権制限の問題が避けられない。衣料用マスクやガウンの備蓄には国が民間の生産計画まで関与するかが論点になる。”

“新型インフルエンザが流行した翌年の2010年、厚生労働省の会議は対策を検証した報告書をまとめた。迅速な意思決定システムや地方との事前準備などの反省やパンデミック(世界的大流行)に備えた教訓が詳述されていながらも活用されず、その10年後に世界を襲う新型コロナウイルス感染症で日本は大きな犠牲を払った。”

“防疫に成果を上げた台湾と韓国は重症急性呼吸器症候群(SARS)や中東呼吸器症候群(MARS)の失敗を生かした。冒頭のリスボン地震は、19世紀以降の欧州が防災都市として生まれ変わる契機となった。国防のあり方を問い直す議論から始めるときだ。”

いかがでしょうか。日本が平和な国であることは素晴らしいことです。しかし、その平和は自分たちで守っていかねばならないものです。だれかが守ってくれるものではありません。緊急事態に際して、行政や国民がどのように対応するのかという議論を深めておく必要があります。今回のパンデミックが収束しても、次のパンデミックや大規模な自然災害が発生する可能性は常にあります。

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