号外:四半世紀の重電不況

日本の重電メーカー、三菱重工業、東芝、日立製作所などは長い間日本の産業基盤を支えてきた巨大企業です。その重電産業は1990年代後半から苦境に陥りました。これは日本だけでなく先進各国で見られる事象です。時代の流れを読み、大胆な事業転換に成功した企業のみが再生しています。日本の脱炭素を進めるうえで、原子力発電の扱いをどうするかは避けて通れないテーマです。進めるにしろ、引くにしろ、高い技術力を持った重電産業が必要です。これは一私企業が自社の努力と裁量だけで対処できる範囲を超えていると思います。これまで積み上げてきた技術とノウハウが散逸してしまう前に、きちんと国・政府の方針を議論すべき事柄だと思います。

2021年11月22日付け日本経済新聞に掲載された記事より、

重電産業は国家と不可分の関係にある。自然界のエネルギーを機械の動力に変える装置は約150年年間、世界の富の源泉となり、巨大メーカーの盛衰は政治や国際情勢に大きく左右されてきた。その意味で、第26回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)の開催中に米ゼネラル・エレクトリック(GE)や東芝の会社分割が明らかになったのは象徴的だった。”

”タービンなどの原動機や変圧器、整流器などを製造する重電メーカーの経営が曲がり角に差し掛かったのは最近のことではない。欧米の電力市場の規制緩和が引き金となり、激しいコスト競争でメーカーの収益が急速に悪化したのは1990年代後半。以後「重電不況」という言葉が業界に定着し、各社は事業構造の見直しを繰り返してきた。”

”1886年創業の米ウェスチングハウス・エレクトリックが原子力以外の発電部門を独シーメンスに譲渡し、CBSコーポレーションに社名変更したのは1997年。翌年に原子力部門も英国核燃料会社(BNFL)に売却した。東芝が2006年に買収したウェスチングハウス社(WH)はこの時、BNFL傘下に入った原子力部門の社名だ。同様に1998年、BNFLに原子力部門を売却したのがスイスのABB。スウェーデンのアセアとスイスのブラウン・ボベリの重電2社は1988年に合併し誕生した同社は1999年、残っていた発電機部門をフランスの競合メーカー、アルストムと事業統合するなど大胆な事業転換をその後も続けた。”

ABBは主力事業を相次ぎ切り離す一方、1998年にイタリア国営公社傘下の計測・制御機器メーカー、エルサグ・ベイリー社を買収。FA(工場自動化)部門の強化につなげた結果、同社のロボット事業はファナックに次ぐ世界2位に成長し、収益源となっている。不況克服途上で新たな収益源を探し当てたのはシーメンスも同じ。同社の原発撤退表明は福島原発事故後の2011年9月だが、実は1999年に原子力部門を分離しフランスのフラマトムとの統合会社に移管していた。この会社が世界最大の原発メーカーとなり、後に破綻した仏アレバである。シーメンスはその後も医療機器、電力などの部門を次々に分社。その傍ら、あらゆるものがネットにつながるI o Tに経営資源を集中し、デジタルインフラの確立で顧客を拡大した。

”2003年、日立製作所の庄山悦彦社長(当時)は構造転換の必要性を説き「売上高の2割の事業を入れ替える」と宣言。実現までに20年近くを要したが、三菱重工業への原動機事業譲渡や英国原発事業撤退の一方で、ABBの配送電事業や米IT企業グローバルロジックを買収。それぞれ1兆円規模の大型M&A(合併・買収)を断行し、日本勢で唯一「勝ち組」の席を得た。GEや東芝も00年代には「選択と集中」の優等生と評されていた。しかし、東芝は2006年のWH買収、GEは2015年アルストムの重電部門買収でつまずいた。気候問題や米中摩擦など国際情勢が絡む事業環境の変数はますます大きくなる。きのうの優等生はあすの「負け組」。重電産業のサバイバルレースは今後も続く。”

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