緊急:ウクライナ情勢、ロシアとの根深い歴史
ロシアがウクライナへ侵攻し、再び戦争が起こってしまいました。ロシアのプーチン大統領がなぜウクライナへ侵攻しなければならなかったのか、その理由は私には想像することしかできません。国境を接する両国の長く積み重ねてこられた歴史について少しでも知ることが、現在の状況を理解するのに役立つかもしれません。ゼレンスキー大統領を始め、ウクライナ国民は大変な苦難に直面しています。日本で、アメリカで、各国で、そしてロシアでも、今回のロシアによるウクライナ侵攻への抗議活動が巻き起こっています。欧米各国、そして日本も協調してロシアへの厳しい経済制裁を発動しました。停戦のための交渉も始まるようですが、ロシアの要求に対してどこまで受け入れることができるのか、非常に難しい判断だと思います。しかし、一刻も早い停戦とウクライナ国民の安全確保を願ってやみません。
2022年2月22日付けNational Geographic電子版に掲載された記事より、
”両国の歴史は、1000年以上前にバイキングが現在のウクライナの首都キエフを中心に築いたスラブ系の大国、キエフ公国の時代に遡る。ウクライナもロシアも起源は同じ国だった。西暦998年、キエフ公国のノブゴロド公ウラジミール1世がギリシャ正教に改宗し、クリミアの都市ケルソネソス(古代ギリシャの植民都市だった)で洗礼を受けた。この洗礼以降、「ロシア人とウクライナ人はひとつの民であり、一体である」と、昨年、ロシアのプーチン大統領は宣言している。”
”しかし過去800年近く、ウクライナは互いに競い合ういくつもの勢力によって、繰り返し支配されてきた。東からやってきたモンゴル軍がキエフ公国を滅ぼしたのは13世紀のことだ。この侵攻が、モスクワを中心とする地方政権がロシア帝国にまで発展する発端となった。16世紀にはポーランドとリトアニアの軍隊が西から侵入する。17世紀、ポーランド・リトアニア共和国と帝政ロシアとの戦争により、ドニエプル川より東側とキエフがロシア皇帝の支配下に置かれた。東側は「左岸ウクライナ」と呼ばれ、ドニエプル川より西の「右岸」はポーランドが支配した。”
”それから1世紀以上たってポーランドが弱体化すると、1793年から95年にかけて右岸ウクライナ(西部)がロシア帝国に併合された。その後、「ロシア化」と呼ばれる政策により、ウクライナ語の使用と学習が禁止され、人々はロシア正教への改宗を迫られた。ウクライナは20世紀にも大きな苦難に見舞われている。1917年のロシア革命の後、多くの国と同じく、ウクライナも激しい内戦に突入したが、1922年にはソビエト連邦の構成国となった。”
”1930年代初頭、ソ連の指導者ヨシフ・スターリンは、農民を集団農場に参加させるためにあえて飢饉を引き起こし、何百万人ものウクライナ人を飢餓と死に追いやった。その後、ウクライナ東部の人口を埋め合わせるために、スターリンはロシア人をはじめ多くのソビエト市民を移住させた。その多くは、ウクライナ語を話さず、地域にほとんど縁にない者たちだった。”
”こうした歴史的な経緯が、長きにわたる断絶を生み出した。ウクライナ東部は西部よりもずっと早い時期からロシアの支配下にあったため、東部の人々はロシアとの結び付きが強く、ロシア寄りの指導者を支持する傾向にある。対してウクライナ西部は、ポーランドやオーストリアなど、欧州列強の支配下に何世紀にもわたって置かれていた事情などから、西部の人々は西欧寄りの政治家を支持する傾向にある。東部にはロシア語を話す正教会の信者が、西部各地にはウクライナ語を話すカトリック信者が多い。”
”1991年のソビエト連邦の崩壊により、ウクライナは独立国となった。しかし、国を団結させるのは容易なことではなかった。その理由のひとつは、「ウクライナ東部では、西部ほど愛国意識が強くない」ことだと、元駐ウクライナ米大使のスティーブン・パイファー氏は言う。民主主義と資本主義への移行は、痛みと混乱を伴うものであり、東部を中心に多くのウクライナ人が、以前の比較的安定した時代の方がよかったという気持ちを抱いていた。”
”「こうしたさまざまな要因を経てできた最大の分断は、ロシア帝国とソビエトによる支配を好意的にとらえている人たちと、これを悲劇として見る人たちとの間にあるものです」と、米シンクタンク大西洋評議会の元研究員で、ウクライナに詳しいエイドリアン・カラトニツキー氏は言う。この亀裂が顕在化したのが親欧米派の政権を誕生させた2004年のオレンジ革命であり、何千人ものウクライナ人がヨーロッパとの統合拡大を支持してデモ行進を行った。”
”クリミアは2014年にロシアに占拠・併合され、その後まもなくウクライナ東部のドンバス地方で分離独立派が蜂起し、結果としてロシアの支援を受けたルガンスク人民共和国とドネツク人民共和国の建国が宣言された。現在、ロシア軍は再び、この土地の波乱に満ちた歴史を象徴する断層線であるウクライナの国境に集結している。(本記事掲載時点。その後2月24日にロシアはウクライナへ侵攻した。)”