オーダーメードでジーンズを作る

デニムについての話題の続きです。

2022年5月20日付けNIKKEI The STYLE電子版に掲載された記事より、

”繊維が長くてしっとりしたインドのスビン綿、白くて太いメキシコのコットン、糸になる前のワタの状態から選び、オーダーメードでジーンズを作ることができる取り組みがある。デニム生地の生産量日本一の広島県福山市で、2021年3月に始まった「プロジェクトボレーガ」だ。海外の高級ブランドのデニムを手がける企業が集積するエリアにもかかわらず「そのものづくりが知られていない」と、市内で飲食店を営む橘美紀さんが考案した。生地メーカーの篠原テキスタイルと、サンプル製作や縫製のミルクリエイトとともに立ち上げ、地元の起業10社以上が携わっている。

“オーダーメードといっても、好みのデザインを注文できるといったことにとどまらない。素材はワタから選べ、色味はもちろん、染色方法や生地を織るための織機まで自由に選べる。数えるならば、生地は1000種類以上から選択できるという。例えば、繊維の短い綿は、しっかりねじらないと糸にならない。そのため太くてごつい糸になり、生地は張りが出てしっかりとした風合いに。逆に長くて細い糸を選べば薄い生地になるそう。もちろん、自分が好きな国で生産されたコットンという選び方でもいい。実際に福山を訪れ、工場を見て、職人から話を聞いた上で、自分が身に着けたいデニムを共に作り上げていく。価格は税込み110万円からだが、すでに完成し、納品したものもある。

完成したデニムと保証書

”このエリアは福山藩の初代藩主だった水野勝成の奨励により、江戸時代から綿の栽培が盛んだった・誕生した織物「備後絣(びんごがすり)」は、明治期には全国的に知られる存在だった。1907年の創業時は手織りの備後絣を作っていた篠原テキスタイルの5代目、篠原由起さんは「和装から様相になり、絣のもんぺがジーパンになっていった」と話す。共通するのはその色、濃い青だ。「日本人にとって特別な色だと思う」。プロジェクトに参加する藍屋テロワールを訪れると、代表の藤井健太さんが藍染めの作業を見せてくれた。プロジェクトでは、現在主流の合成染料での染色だけでなく、この天然藍による藍染めを選択することもできる。

”今では希少な藍染めだが、江戸時代には庶民にも広がっており、作業着など多くの衣服が青かった。藤井さんによると藍の多くは赤味を帯びるが、日本のタデ藍やそれを使った染色では「黄色や緑が入り、濃くしていくと黒に近づいていく」そう。明治時代に来日した外国人が、日本の至る所で藍染めの衣服を見たという記述が様々に残っており、英国人化学者はその色を「ジャパン・ブルー」と表現している。福山のデニム作りを長年そばで見てきた橘さんは「デニムの色と通じるこのブルーに、私たちは本能的にひかれているような気がするんです」。”

日本のデニム製造は世界からも一目置かれている。同じ福山市のカイハラは、紡績、染色、織布、加工といった生地製造の全ての工程を一貫して手がける体制を持つ、世界でもまれなメーカーだ。1970年代にはリーバイスから注文を受けており、現在デニム生地を世界約30ヶ国に輸出している。かつてデニム生地は硬く、洗濯による縮みやはき心地に悩みがあった。そうした問題を解消するために、今や常識となっている、あらかじめ洗ってのりを落とす「ワンウォッシュ加工」を世界で初めて開発したのも、日本のエドウィンだ。

古着デニムの再生

”3月、伊勢丹新宿店(東京・新宿)の店頭に、デニム生地を使った洋服や靴、インテリアなどがずらりと並んだ。様々なブランドやデザイナーが手がけたもので、初日の開店前には行列ができるほど関心も高かった。これらの商品に使われたデニム、実は廃棄される寸前だったリーバイス501の古着だ。アパレルのアイロンプレスや検品を手がけるヤマサワプレス(東京・足立)の代表、山澤亮治さんが米ロサンゼルスで出会い、20トンを買い取った。1980年代から2000年代のものを中心に、主に米国人が着用していたものだという。古着といっても、破れていて汚れが付着した状態だ。それでも引き取ったのは「それ以上に引き付けられるものがあったから」と山澤さん。古着に詳しいセレクトショップ「ジョンズクロージング」の河原拓也さんらに声をかけ、再び使えるよう復活させている。”

クリーニングのプロと開発した専用の洗剤に漬け込み、ジーンズ1本1本をブラシでたたいてこすり、汚れを浮き上がらせる。よみがえったデニムは、過去の所有者の生活を刻んで、それぞれに異なる味わい深いブルーだ。”

Follow me!