号外:食料安全保障、トウモロコシ増産で備えを

2022年6月8日付け日本経済新聞電子版に掲載された記事より、

飼料用作物トウモロコシ

”ウクライナ危機で穀物の国際相場が高騰したことで、国内で自給が可能なコメをもっと食べるべきだとの声が出ている。「ご飯」という言葉が食事全般とコメの飯をともに指すことが示すように、この意見は日本人の心に響きやすい。だが食料安全保障の観点から、もっと注目すべき作物がある。トウモロコシだ。

”なぜトウモロコシが重要なのか。そのことを考える前に、まず食料自給率の水準を確認しておこう。日本の食料自給率は、カロリーベースでみて1965年度の73%から2020年度の37%まで大きく低下した。「カロリーベースの数値は自給率を低く見せるためのもので、生産額(金額)ベースの自給率に注目すべきだ」という指摘が一部にある。低い数値は、保護農政を正当化するための統計というわけだ。確かに生産額ベースで見れば、自給率は2020年度で67%ある。カロリーベースのデータと比べるとずっと高い。だがこの2つの自給率は、日本の食と農について何を知りたいかで分けて考える必要がある。”

”ごく単純に言えば、生産額ベースの自給率は産業としての農業の置かれた状況を示す。その数値が7割近い水準を保っているのを見ると、「日本の農業はイメージより頑張っているじゃないか」と思うかもしれない。ではカロリーベースの数値は何を映しているのか。ここで少し話題を変え、ダイエットのことを思い浮かべてみよう。その日に食べた食事のカロリーと、ジムで消費したカロリーを比べ、「このペースでいけばあと半年で体重を何キロ落とせそうだ」などと考えたことのある人もいるのではないか。ここが重要なポイントだ。摂取カロリーが消費カロリーを下回り続ければ体重が減る。それが極端な状態が長く続けば、人は飢餓に陥る。

エジプトのパン

”ウクライナ危機を受け、「エジプトは小麦の値上がりに苦慮している」などのニュースが流れた。穀物が不足し、値段が高騰するのが問題なのは、それがカロリーの摂取を脅かすからだ。穀物と、野菜などとの違いはここにある。生産額ベースの数値では、こうした状況を知ることはできない。では日本人は何を食べてカロリーを摂取しているのか。国民1人の1日当たりの2020年度の供給熱量を見ると、コメが最も高くて475キロカロリーだ。コメはいまも日本人にとって大切な食料であり続けているが、1960年度と比べると半分以下に縮小した。コメの消費が減り続けているためだ。では次に供給熱量が高い食品は何か。答えは畜産物の408キロカロリーで、1960年度の5倍近くに拡大した。次が油脂類の349キロカロリー。ちなみに小麦は300キロカロリーで、1960年度と比べて2割増にとどまる。

「日本人の食生活は戦後大きく変化した」という言い方がある。これを聞いてコメからパンへの移行を連想する人が多いかもしれないが、実際は畜産物によるカロリー摂取の増加がもたらした変化の方が大きい。ここで畜産物は、肉や鶏卵、牛乳などを指す。その中で最も供給熱量が多いのは肉だ。ここでやっかいな問題が浮き彫りになる。日本の戦後農政は食生活の長期的な変化を見越し、牛の飼育や養豚、養鶏などの畜産を振興した。この政策は一定の成果をあげた。だが家畜を飼育するために必要なエサのうち、メインの穀物であるトウモロコシのほとんどを海外から輸入しているのだ。

トウモロコシの輸入量は約1100万トンで、主要な輸入先は米国だ。この規模感を理解するために主食用米の需要量を見てみると、年々減り続けていまは約700万トン。日本は「豊葦原の瑞穂の国」だったはずなのに、国民へのカロリーの供給で実際に使っている量はトウモロコシのほうが多いことがわかる。その調達が、ウクライナ危機で脅かされている。ウクライナは飼料用トウモロコシの輸出国だからだ。日本の主な調達先は米国なので、量が足りなくなることは足元ではないだろう。だが国際相場の急騰は、畜産経営を圧迫する。畜産が立ち行かなくなれば、国民へのカロリーの供給に黄信号がともる。”

しかも長期的に見てもっと大きな不安材料がある。中国の動向だ。所得の向上に伴って肉の消費が増えており、飼料用のトウモロコシを大量に輸入するようになった。いずれ日本が「買い負ける」ような事態も起きかねない。”

”ウクライナ危機で輸入に頼る小麦の値段が上がったことで、「もっとコメを食べればいい」との声が聞かれるようになった。だがよほど事態が切迫しない限り、人々の食生活は大きくは変わらない。実際、農水省はコメ消費の拡大を訴え続けているが、期待に反して今も減る一方だ。”

国民へのカロリー供給の観点からは、飼料用トウモロコシの国内生産が農業の新たな課題として浮上する。米国などとは気候が違うので栽培が無理なら諦めるしかないが、現実は必ずしもそうではない。北海道で約10年前に本格的に作付けがスタートし、栽培面積はいまも拡大の途上にある。トウモロコシは食料安保にとって別の重要な役割もある。人出不足のもとでの農地の保全だ。飼料用トウモロコシをつくる農家のグループ、北海道子実コーン組合(北海道夕張郡長沼町)のデータによると、栽培に要する作業時間は一般的な稲作の10分の1以下。少ない労力で、広い面積をこなすことが可能なのだ。

”これまで農水省は、トウモロコシと比べて飼料に適さないコメをエサにすることを推奨し、手厚い補助金を稲作農家に支給してきた。コメ余りに対応するためだ。だがウクライナ危機による混乱を受け、自民党は最近まとめた食料安保に関する提言に、トウモロコシなどの飼料穀物を増産することを盛り込んだ。軌道に乗れば、日本の食料政策にとって大きな転機になる。大半を輸入に頼っていた作物を、国内で一定量まで増産するには時間がかかる。だからこそ、長期的な視点をもって政策で後押しする必要がある。稲作はもちろん今後も大切だ。だがコメに迫るほど国民にとって大切になった畜産物を守るには、飼料穀物の生産を戦略的に推進することが欠かせない。それは食生活の変化への対応と言う意味で、農政が積み残してきた課題でもある。”

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