号外:デジタルカメラ

本題とは関係ない話ですが・・・

私が初めてデジタルカメラを手にしたのは、2000年で、機種はカシオのQV8000だったと思います。カシオは間違いないのですが、機種をはっきりと覚えていません。2000年12月からの写真データが残っています。私と家族は、私の仕事の関係で2001年にアメリカへ引っ越しました。アメリカに住んでいた時(~2006年まで)の写真は、このカシオで撮ったものが多いです。当時の記録メディアはコンパクトフラッシュ(16MB程度)で、随分高価なものでした。メモリーがすぐに一杯になるので、今のようにたくさん撮って後で選ぶというわけにもいかず、うまく撮れなかった写真は液晶画面を見ながら消去したものでした。家に帰ってパソコン(IBMのデスクトップ)へデータを移し印刷しようとすると、パソコンの性能が十分でなく(CPU:400MHz、メモリー:64MB、HDD:6GB)、Windows 98はよくフリーズし、1枚印刷するのも結構大変だったように記憶しています。

アメリカに住んでいる頃は、家族で旅行に行ったりして結構写真を撮ったのですが、帰国してからは、子供たちが成長したこともあって、私が写真を撮ることは少なくなりました。今では特にカメラを持っているわけではなく、スマートフォン(iPhone)のカメラで間に合わせています。スマートフォンを常に持ち歩いていれば、どこでも写真を撮ることができますし、いつでも中の写真を見ることができます。そのため写真を印刷することも少なくなりました。一昔前までは、写真は思い出を記録する大切な媒体で、フィルムから焼き付けた写真や、デジカメから印刷した写真を、飾ったり、持ち歩いていたりしていました。スマートフォンが一般的になり、性能も著しく向上したので、写真が思い出を記録する大切な媒体であることは変わりませんが、取り扱いはとても簡単で便利になりました。結構なことなのですが、ちょっと寂しいような気もします。

2022年10月31日付け日経クロストレンド電子版に掲載された、山中俊治氏(工業デザイナー、東京大学教授)のコラムより、

“まだデジタルカメラが珍しかった1990年代半ば、四国の田舎町にある本家のお墓参りに行った日の夜のことである。私はノートパソコンを開き、日中に撮ったばかりの写真を親族のお年寄りたちにスライドショーとして披露した。「ええっ!さっき撮った写真がもう見えるん?」と驚きの声が上がった。見せた写真が全て1つのメモリースティックに入っていることを説明すると「そしたら、一つひとつの写真は米粒より小さいのお・・・」。おしまいには「いや、長生きはするもんじゃ」などというドラマの決まり文句も聞こえた。デジタルによる即時性とペーパーレスが魔法に見える時代だった。

デジタル技術がもたらす社会変化を語るときに、写真のデジタル化を事例として挙げる識者は多い。初期のデジタルカメラは「現像いらず」と「ストック場所に困らない」が最大の売りだった。それは、フィルムカメラに慣れた人々には驚きの変化ではあったが、写真のデジタル化がもたらす社会変化は止まらなかった。2000年代に入り、携帯電話へのデジタルカメラの実装は、人々の生活習慣さえも変えてしまう。あらゆるイベントで一斉に掲げられるスマホ。メモ代わりの撮影、SNSでの写真映えが目的化した旅行と食事、ニュース番組ですら現地の人がスマホで撮影した映像を中心に構成する時代になった。今や私たちは、いつでもどこでも写真や動画を撮影し、瞬時に地球全体で共有する世界の住人である。100年前に「写真撮影は全ての人に必須の技術になるだろう」と予言した芸術家がいたそうだが、果たして彼は自分の行動がいつのまにか記録されているかもしれない撮影社会を想像していただろうか。”

こうして写真撮影は、私たちの基本的なリテラシーになった。しかし、幸いなことに写真家の仕事は奪われなかった。むしろ多くの人が写真技術にトライするようになって、あらためて写真家の観察眼や美意識が、価値あるものとして認知されるようになったと思われる。ネットを通じて有名になるプロの写真かも珍しくない。かつて市民にとって価値ある写真は、集合写真や記念写真を始めとする、いわば記録写真だった。しかし今や多くの人が、写真撮影は単なる記録ではなく、日常の中から印象的な光景を切り取る創造的な行為なのだということに気がついている。”

“写真家の清水行雄は、いつも古いライカのフィルムカメラを旅に同行させていた。「旅先で珍しい建物に出会うと、それがつくる『影』にまず目が行くんですよ」と彼は言った。それを見事な構図とコントラストで銀塩に写し取る彼の技術は、おいそれとまねのできるものではない。しかしiPhoneのおかげで、今や私もそんな目で街を見ることが可能になった。日常の何気ない光景が、光と影を意識して切り取った瞬間に何気あるものに変わるのが心地よい。「芸術の市民化」とでもいうような変化をもたらしたネット上の膨大な写真は、今も新しい価値を生み出し続けている。

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