VANをまとったみゆき族

戦後日本のファッションの流れを振り返る企画で、<戦後の洋裁ブームが意味するところ>のつづきなのですが、私の世代(1959年生まれ)にとっても実感のとぼしい話ですから、今の若い人たちにとっては本当の「昔話」かもしれません。しかし戦後の日本が徐々に復興していくにつれて、生活に密着したファッションもライフスタイルも変化してきたわけです。「まず男性が既製服に袖を通し、それを追いかけるようにして女性たちが既製服を手に取って街に出た。」という変遷は、ちょっと興味深い話です。

「みゆき族」とは、東京・銀座のみゆき通りにいた若者たちのことだが、1964年の夏に現れたと思ったら、秋口にはもういなくなっていた。東京オリンピックのために来日する外国人の目に触れては国の恥、という理由から警察が取り締まり、排除されたのだ。むしろ、排除されることが予定され、実際に排除されたから、「みゆき族」として認知された。そうでなければ、彼らの存在は気づかれなかったかもしれない。お互いに連絡を取り合って、何かの活動をしたわけでもなく、「みゆき族」としての自覚がどれほどあったのかも定かではない。

“みゆき族を「族」として認知できたのは、みゆき通りという特定の場所にいたこともさりながら、見た目に特徴があったからだ。女性たちは、長いスカートにカバン代わりの米袋という、裕福にもスタイリッシュにも見えない格好で、そのわりに男性の方はアメリカ東海岸の大学生を真似た「アイビーファッション」という、いまだに格好良さを語り継がれるスタイルだった。果たしてこの両者を同じ族として扱うべきか悩ましいが、今見ると男女の服装がまるで逆転したかのような事態になっていた背景には、女性たちが着ていた服が手作りで、男性たちが着ていた服が既製服だったという事情がある。”

“この64年の2年前の62年には、繊維会社の東レが「シャーベット・トーン」というキャンペーンを行っている。このキャンペーンには、資生堂、東芝、西武百貨店、不二家といった様々な業種の大企業も参加しており、同じ色調で製品開発を行い、社会現象と呼んでいい規模に広がった。その翌年には、再び東レが「くだものの色」というキャンペーンを行い、それに対抗して帝人も「フラワーモード」というキャンペーンを行った。いずれのキャンペーンも、知名度が8割から9割に及ぶほどの流行を見せた。いかに一つの流行に左右される社会だったかがうかがいしれるが、どのキャンペーンも繊維会社が主導で行ったことが、時代を反映している。繊維会社が主導権を握れたのは、繊維会社によって作られた布を女性たちが買って服に仕立てる社会だったからだ。

“その一方で、男性のファッションを牽引したのは既製服会社である。特に、石津謙介が米国のブルックス・ブラザーズをモデルとして創設した「ヴァンジャケット」の影響は大きい。ボタンダウンのシャツにネクタイを締め、その上にジャケットを着込み、コットンパンツにスニーカー、時にはカーディガンを着て、サングラスやハンチングを身につけるスタイルは、今見るとカジュアルになりきれていない着崩したスーツ姿にも見えるが、彼らが、仕事着でも部屋着でも学生服でもない、街着を着ていたのが新しかった。こうして若い女性たちが自作の服を着て、若い男性たちがブランドタグのついた既製服を買って街に出て、その遭遇した先が、銀座のみゆき通りだったのだ。

“みゆき族は、団塊の世代が引き起こしたサブカルチャーやカウンターカルチャーの、先駆的存在とも言える。アイビーファッションには、64年に平凡出版が創刊した「平凡パンチ」が大きく影響を与えている。「平凡パンチ」は、イラストレーターの大橋歩の表紙が印象的だったが、ページをめくると、買いたくなるものがひしめいていた。平凡出版は、そのノウハウを詰め込んで「平凡パンチ女性版」という実験的な雑誌を不定期で出した後、70年に「anan(アンアン)」を創刊する。その後、安定成長期に成熟していく日本のファッションや消費文化は、この時期、男性相手に土台が作られ、女性に拡張されていったのだ。

“64年の東京オリンピックの後、68年から69年には全共闘が起こっている。70年には、大阪万博が開催されている。それらと重なるようにして、まず男性が既製服に袖を通し、それを追いかけるようにして女性たちが既製服を手に取って街に出た。71年には、「アンアン」に引き続き集英社の「non-no(ノンノ)」も創刊され、いわゆる「アンノン族」が生まれている。「アンノン族」は、消費活動の一環として旅をする人たちでもあったが、もはや行く先は、みゆき通りだけではなくなっていた。アンノン族が、街どころか日本中に旅に出たのは偶然ではない。オリンピックも全共闘も万博も、若者たちに仕事と家庭以外の世界を大きく開いた。若者たちは、仕事着でも部屋着でもない、カジュアルウェアを着て、そういった世界へと前進していったのだ。

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