ギャルや裏原ブームの熱狂

戦後日本のファッションの変遷を振り返る企画の第4回(最終回)ですが、1990年代以降、「失われた30年」の話です。私は1983年に就職しましたので、このころには若者の動向には疎くなり、徐々に「おじさん」になっていきました。また2度の海外駐在の影響で、この時期の国内状況についての印象が薄いのかもしれません。平成、令和と時間は流れ、社会とファッションは互いに影響し合いながら変化して現在に至っています。将来に向けての持続可能性(サステイナビリティ)が問われる今、繊維産業も環境負荷を低減するために変化することが求められています。それに合わせて、服もファッションも、そして人々のライフスタイルも徐々に変化していくことになるのでしょう。

2023年5月31日付け日本経済新聞電子版に掲載された記事より、

“1990年代は「失われた10年」と呼ばれたが、その後「失われた20年」「失われた30年」と、どんどん失われた時代は延びて、平成はそっくり失われたかのようである。しかし、平成の最後の10年に比べると、まだ90年代は失われたものよりも生み出したものの方が多かったかもしれない。90年代は、日本の歴史において滅多にないくらいに個人主義の時代だった。ファッションにも、それが大きく現れていた。”

90年代は、団塊ジュニアが10代から20代で、若者人口も多く、それ以前からの文化的蓄積も享受できた。70年代から80年代にパリコレでデビューした日本人デザイナーたちが評価を定着させ、ハイファッションにおいて世界的な影響力を持った。一方で、ストリートファッションが注目を浴び、渋谷や原宿、特に90年代後半には裏原宿がファッションの発信地として、これも世界的に注目を浴びた。女子高生までもがハイブランドのカバンや財布を持つ風潮はまだ続いていて、若者の多くが「良い物」を知っていた。彼らは世界中から集めるのに飽きたらず、自分たちの基準で、どこにも無い物を作り出していった。”

“団塊ジュニアのファッションのはじまりとされるのは、89年ごろ渋谷を中心に流行した「渋カジ」で、紺ブレ(ブレザー)にジーンズが基本のスタイルだった。渋カジを牽引した「チーマー」たちは、渋谷から山手線の外へと延びる東急東横線や田園都市線、京王井の頭線などの郊外住宅地に住む、比較的裕福なサラリーマンの子供たちだった。90年代は、バブルが崩壊した後とはいえ、若者たちの多さゆえ、街にもファッションにもパワーがあった。”

すでに小さく細分化されていた市場は、さらに細分化され、六本木のディスコは渋谷のクラブに、DCブランドはセレクト・ショップに主役を奪われていった。コギャル、(濃いアイメークの)ヤマンバ、(肌を黒くする)ガングロ、(さらに黒い)ゴングロ、(安室奈美恵を模倣する)アムラー、ギャルママ、ロリータ、ゴスロリ、(かわいさや甘さを追求した)甘ロリ、ヴィジュアル系、(ヒップポップに影響された)B系、(90年代ロックから派生した)グランジ、(女性っぽい雰囲気の)フェミ男など、スタイルをあげていけばキリがない。「渋谷109」のギャルファッションブランドと裏原系の「ア・ベイシング・エイプ」が、競うことなく共存していたのが90年代である。”

“こういったファッションのあり方は、文化相対主義的な世の風潮と合致していた。何に価値があるかは誰にも断言できないし、美しさや格好良さはそれぞれが決めるべきで、隣人が良いと思っているものを口に出して否定してはいけない、という暗黙のルールが受け入れられていった。文化相対主義は、隣人に対する理解力がともなえば、様々な価値観を認めていく道を開いていくことになる。しかし、隣人に意見することが許されないのであれば、共感する必要もなくなってしまう。そのため、隣は隣だからという無関心や無理解、勝手にやっていることは自分で責任を持てという自己責任論が生まれていった。”

“ギャルも裏原系も、サンプリング、コラージュ、リミックスといった手法を用いたが、これらの手法は、歴史や文化を飛び越えて感覚的に共感できるものを引用するので、他者への無関心を打ち破る手段になった。しかし同時に、他者の作品が生まれた背景を無視した盗用にもなりえた。オマージュやパロディは、簡単に、剽窃(ひょうせつ)やコピーになる。その危険性を踏まえて引用する文化的技術は、あまりにも高度過ぎ、しかし表層的な真似(まね)は誰にでもできたので、結果、模倣が溢れることになった。

複雑さを嫌う人々の傾向は、ファッションを、とてもシンプルなあり方に二極化していくことになる。すなわち、グローバルなファストファッションと、ラグジュアリーブランドである。そしてファストファッションでは、流行を安く提供しようとするために、模倣が常態になった。一方で、変わらないことを信条とするラグジュアリーブランドは、自らの模倣を行う。模倣がベースとなる効率的なファッションビジネスは、デザイナーによる複雑な表現の場を奪っていくことになった。

ゼロ年代になると、難解なフェミニズムへの無理解もあって、「モテ系」というとてもわかりやすく古典的な「女性らしさ」が復活し、ジェンダーに関する議論が棚上げされた。ファストファッションによって、流行を誰もが手軽に楽しんだ結果、途上国での過酷な労働問題や、大量の衣料品廃棄問題が浮上した。他者や複雑さへの理解を避けた結果、世界はより複雑になってしまったのだ。

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