号外:阪神大震災28年で祈り、「生きる意味」を伝える

1月17日、今年もまたこの日が巡ってきました。1995年(平成7年)1月17日午前5時46分、阪神淡路大震災の発生時刻です。私と私の家族は西宮市で被災しました。あれから28年が経過しましたが、当時のことは鮮明に記憶に残っています。震災だけでなく、日本は自然災害が多い国です。犠牲になられた方々の慰霊、追悼はもちろん大切なことですが、「何が起きて」、「どのように対処したのか」を伝えていくことも非常に大切なことだと思います。

阪神合淡路大震災から25年

震災の教訓を次世代へ、阪神・淡路大震災27年の追悼>の項を参照

2023年1月17日付け日本経済新聞電子版に掲載された記事より、

阪神大震災の発生時刻に合わせ黙とうする人たち

“6434人が亡くなった阪神大震災は17日、発生から28年となった。最大震度7の揺れが襲った神戸市では未明から多くの人が犠牲者を悼み、街は鎮魂の祈りに包まれた。志半ばで犠牲となった家族の無念さを胸に、遺族は「生きることの意味を伝えたい」と決意を新たにした。”

灯籠の明かりで浮かび上がった「むすぶ」の文字

“犠牲者の名前を刻んだ銘板がある神戸市中央区の東遊園地では地震発生時刻の17日午前5時46分、集まった数多くの市民が黙とうした。竹灯籠約6千本、紙の灯籠約4千本が形づくるのは「1995 むすぶ 1.17」の文字。「むすぶ」には「人と人、場所と場所を結び、みんなで一緒に震災を伝えていこう」とのメッセージが込められている。”

倒壊した阪神高速道路(1995年)

“阪神大震災は1995年1月17日午前5時46分、淡路島北部を震源として発生した。地震の規模を示すマグニチュード(M)は7.3。兵庫県の阪神間を中心とする広い範囲を最大震度7の揺れが襲った。6434人が無くなり、震災関連死の認定は約900人にのぼる。63万9686棟の住宅が損壊し、阪神高速道路の橋脚が倒壊するなど交通は寸断された。大都市を襲った直下型地震で、日本有数の工業地帯や港湾などが打撃を受けた。兵庫県が推計する経済的被害は約9兆9千億円という。”

“地震発生直後の大火で、4759棟(市全体の68%)が全焼した神戸市長田区。甚大な被害を受けた新長田駅南地区では再開発が進められた。ただ、2021年に公表された市の検証報告書によると、市が用意した商業区画に戻った元の商店主らは47%(床面積ベース)に留まる。”

神戸市長田区菅原通付近(1995年)

“上野政志さん(75、兵庫県佐用町)は神戸市灘区のアパートで被災した神戸大学2年の長女、志乃さん(当時20)を亡くした。遺族代表として東遊園地で行われた追悼行事に臨み、「防災教育や災害から学ぶ教訓を今、生きている人間で生かしていく必要がある」と語った。1995年1月16日夕、郷里での成人式を終え、灘区に戻る娘を駅まで送った。「じゃあ、またね」。別れ際のひと言が、最後の会話となった。地震発生の翌朝、がれきの中で発見した志乃さんは氷のように冷たくなっていた。現場で毎日のように遺品を探し、志乃さんが描いた絵本などを見つけた。将来の夢や希望を抱きながら、突然奪われた人生。志半ばで逝ってしまった志乃さんの無念さを胸に、「『生きることの意味』について伝えていきたい」と継承を続ける決意を述べた。”

追悼の言葉を述べる遺族代表の上野さん

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